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第58回研究会
共通テーマ「ドイツ古典哲学におけるスピノザ問題」
予稿集

講師の敬称はすべて略しました



クリスチャン・ヴォルフのスピノザ主義理解
平尾昌宏(立命館大学)

 ヴォルフとスピノザとの関わりには、二つのフェイズがある。(1)ヴォルフが哲学に進出した際に起こった、啓蒙主義哲学と敬虔主義神学との対立を背景とした論争。(2)後にヴォルフが著した『自然神学』におけるスピノザ解釈。
 今回の報告では主として(2)を取り上げるが、その際、次の二つの視点を用意することにする。(a)そのスピノザ解釈の特徴、(b)思想史的意義。1:上記の論争でヴォルフは、神学者たちから「スピノザ主義」との非難を受け、その「汚名」を振り払うために自説とスピノザ主義との相違を明らかにしようとしていた。そこでのスピノザ理解は必要に迫られたディフェンシブなものである。 2・a:それに対して、『自然神学』における解釈はかなりまとまったものである。とりわけヴォルフは、スピノザのテキストに取り組むことを明言している。これは従来の通俗的なスピノザ主義理解とは一線を画した、この時期では貴重なものである。もっとも、彼はスピノザを評価しようとしているのではなく、逆に、個々の「誤謬」を指摘し、スピノザ主義が一個の学説として成り立たない所以を示そうとする。また、取り上げているのは主として『エチカ』第一部に限られている。2・b:しかし、ヴォルフのスピノザ解釈の重要性は、その内容以上に、それが後の世代に与えた影響の方に見られる。『自然神学』のスピノザ解釈はシュミットによる『エチカ』独訳とともに出版され、広く流布したものと思われる。汎神論論争に至る時期までスピノザ主義が「死んだ犬」となったのは、ヴォルフのスピノザ解釈によって、人びとがスピノザ主義をいわば「精算済み」と見なしたからではないか。
 スピノザ主義理解の歴史においてヴォルフの解釈は、一瞬はスピノザとそのテキストの「実」に触れつつ、結局はその影響によって再び「虚」へと返す役割を果たしたのではないかと思う。

自由と必然またはシェリングとスピノザ
Absolute Freiheit und absolute Nothwendigkeit sind identisch. 
松山壽一(大阪学院大学)

 シェリング (1775-1854)の哲学は初期、中期、後期にわたって変貌を遂げるが、それに伴走するかのようにスピノザ哲学に対する態度も変わる(<接近><離反><再接近>)。ただ、こうした変貌、変遷にもかかわらず、そこには<自由の哲学>が通底している。
 1. 初期シェリングにおけるスピノザ主義への<接近>は、いわゆる「スピノザ・ルネサンス」の中で発せられた、「この間にぼくはスピノザ主義者になった」(1795年)という宣言に見て取れる。もっとも、『自我論』(同年) における立場はスピノザ主義とは逆の<自由の哲学>(フィヒテの自我哲学)だったが、『哲学書簡』(同年) では、スピノザ主義も<自由の哲学>と解釈され(「絶対的自由と絶対的必然は同一である」― Eth.I,Def.VII, Prop.XVII)、「自己滅却」を説くスピノザの徳論がギリシア悲劇の英雄の顛末(絶対的自由の遂行による没落)に重ねあわされる。この時期の頂点とされる同一哲学ともなると、形式・内容ともにスピノザ『倫理学』の体系を「手本」とする「理性」の体系が構築される。
 2. ところが中期の開始を告げる『自由論』(1809年) になると、スピノザ主義は「決定論」として退けられる。シェリングが「救済」における人格関係を重視し、「人格神」を導入したためである。ここでは、人間の自由はその「内的必然性」に由来する神への背き(「逆立ちした神」)に認められ、「救済」は、このような人間の人格性と神の人格性(「人間的に受苦する神」)との間すなわち「無底」(この分裂から人格性が生ずる)における「無差別」(「愛」)において成立する。ただし、すべてなお「理性の弁証法」の枠内で考えられていた。
 3.「理性・本質」に立脚する「消極哲学」に抗して、「事実・存在」を重視する「積極哲学」を唱えるミュンヘン講義 (1827/28年) を嚆矢とする後期では、スピノザ主義が再評価されるに至る。ベルリン講義『啓示の哲学序説』(1842/43)等において、後期哲学の中核をなす「存在」思想がスピノザ哲学の真髄(「本性が存在としか考えられないもの」 Eth,I,Def.I)と相呼応するものと見なされたからである。後期では、スピノザは「全積極哲学の最深の根拠に到達していた」哲学者として称揚され、神の「自由」が強調される (『啓示の哲学(Urf.)』)。

スピノザにおける無限性とヘーゲルにおける「自己関係」
栗原隆(新潟大学)

 中心を異にする二つの円という周知の図(『デカルトの哲学原理』第二部定理9:書簡12)を引き合いにだして、ヘーゲルはスピノザの語ろうとした「変動は連続的である」(『ヘーゲルかスピノザか』邦訳 196頁)ということを大きく転釈して、『大論理学』や『哲学史』において「自己関係」の例として捉える。ヘーゲルはどうしてこのようなスピノザ解釈を行なわざるを得なかったのか、ヘーゲルなりの内的必然性に迫りたい。



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