スピノチスムは徹底したリアリズム−上野修氏に聞く− (聞き手=編集部)
今春『精神の眼は論証そのもの−デカルト、ホッブズ、スピノザ』(小社刊)を上梓された上野修氏(山口大学人文学部教授*)に、ご自身と17世紀哲学との関係、とりわけなぜ強い関心をスピノザの思想に抱かれるようになったのか、その出会いの軌跡について聞きました。[*所属は当時。現在は大阪大学文学部]
−上野さんはヨーロッパ、特にフランスでデカルト、ホッブズ、スピノザについての研究を進めてこられました。このような17世紀の哲学者たちは、最近、新しい眼で捉えなおされてきているように思います。どうとらえ直すかという問題は、解釈する側の立場によって当然異なってくると思うのですが、上野さんご自身はどのような経緯で17世紀の哲学者たちに対する関心を深められたのでしょうか。 もともと私は、デカルトの心身問題に関心をもっていたのですが、デカルトの研究をすすめるうちに、デカルト哲学においては精神よりも宇宙論などの自然学のほうがむしろ面白く感じられるようになりました。当時の機械論的な世界観にかなり惹かれるものを感じ取っていったのです。たとえば、デカルトの情念論は、情念をあくまでもメカニズムとしてみていこうとする姿勢をつらぬきます。すべてを機械的な原理で説明していこうという姿勢を崩さない。それがかれの道徳哲学の大きな要素になっています。このような機械論的世界観が登場してから以後の哲学を、それ以前の哲学と比較してみると、道徳哲学における原理そのものが明確に異なっていることがわかります。機械論的世界観の登場が一つの分岐点になっている。このデカルト哲学の意義、「機械的なもの」の概念を無視してしまうと、デカルト哲学は結局は「コギト」の議論にしかなりません。実際、このコギトを突き詰めてゆく路線は、フランスでは結局スピリチアリズムの流れにつながっていくしかありませんでした。しかし、私が興味をもっていたのは、むしろスピリチアリズムですくいきれないも の、内面のない、自分自身の外に置かれているもの、それが哲学にどんなふうに働いていたのか、という問題でした。そういう関心の延長として、デカルトによって提起された機械的な世界観に強い関心を抱き続けていたこともあって、修士論文では「デカルトにおける機械的なものの観念」をテーマとしてとりあげました。しかし、機械的なるもの、あるいは自生的なシステム、つまり自分の外部に原因をもたずに自分自身がみずからを動かす存在というものの観念は、デカルトにとって個人の自由意志という観念の反転したネガでしかない。心身問題を立てても、人間たちの動いている場所が見えないのです。私も実際、デカルトでは先がみえなくなってきた。それで、哲学史上デカルトに続くスピノザ、ライプニッツ、ホッブズらの仕事に眼を向けるようになったのです。それからもう一つ、これらの17世紀の哲学者たちの思索を辿りながら、17世紀哲学という枠組みのなかでいろいろと考えていた大学院の修士課程に在学中、たまたまドゥルーズ=ガダリの著作を読む機会があり、これらのなかのスピノザへの言及が目に留まったこともスピノザに対する関心を深める大きなきっかけとなりました。ここで描 かれるスピノザはたいへんインパクトがありました。スピノザは徹底した合理主義の立場から、マシニックなものをすべての領域にまで徹底させる言説を展開させました。これはデカルトやライプニッツの調停的な思想に満足できない私の思考の間隙に、ぴったりとあてはまるものでした。スピノザを知ることによって、いままで自分が理解してきた17世紀哲学とはまったく異なった視点から捉えられる世界があることに気づかされました。もちろんそれ以前にも、大学の演習などで『知性改善論』など、スピノザの著作を読む機会はあったのですが、スピノザから大きなインパクトを与えられたきっかけとしては、やはりドゥルーズらの言及が大きかったように思います。しかしドゥルーズらによってスピノザに導かれたという意味ではありません。私の考えていた問題がじつは構造主義以降の現代思想の大きなテーマに関わっていることを知ったのは、むしろずっとあとになってからのことでした。 −スピノザの名は、アルチュセールの登場以降、マルクス主義とのかかわりにおいて世界各国で注目されるようになりました。たとえば、学生運動あるいは市民運動の理論的支柱にもなりそうなスピノザ像が再評価されましたが、上野さんご自身はこういう観点からスピノザをみるということはなかったのでしょうか。 私が大学に在学していたころも、確かにまだ学生運動の名残がありました。私自身も、無関心でいられたわけではありません。私の出身校はキリスト教系の大学であったためか、真摯な倫理感がずいぶん問われていたように思います。けれども、私の場合、結局そういう倫理的に純粋であろうとする責務感からは、何かを続けてゆくことはできませんでした。やっていけなくなった、といったほうが的確かもしれません。そこでそういう外部からのさまざまな課題を引き受けるスタンスからいったん身を引いて、もう一度自分自身で判断し、選択しなおすための自由な地所がほしかった。ですから、ヘーゲルやマルクスに傾倒するというよりも、自由に考えるための場所として哲学を求めていたというのが正直な気持ちでした。その結果、当時の私にとって、最初にもっとも役立ったのがデカルトの思想だったのです。全部をはじめにまず投げ捨ててしまう。ゼロから出発してみたらどうなるんだろう、というわけです。こうしてデカルトからはじまって、ホッブズ、スピノザという17世紀の動乱期の哲学者たちに対する関心が広がっていきました。アルチュセールのスピノザの 読み方は注目すべき点が多く、確かに面白いとは思いますけれども、それが自分自身の関心の導入の契機となったということはありませんし、マルクス主義者たちの言及が契機となったこともありません。スピノザとマルクスの関係についても、構造主義の場合と同様、むしろあとから知ったくらいなのです。 −スピノザをマルクス主義の脈絡のなかで読むということが、最近のヨーロッパ的なスタイルであったにもかかわらず、上野さんの場合はマルクスを介することなく、ずいぶん早くからスピノザ哲学を直接的に「役立つ思想」として捉えてきたということですね。 スピノチスムは、かなり徹底したリアリズムなんです。現実の世界は常にすでにわれわれの想いに先行して展開されているのだというリアリズム。スピノザを読んで、ここなら大丈夫だという気持ちになったのはそういう点が明確な思想だったからだと思います。スピノザの思想は要するに自由意志の否定ですが、自由意志を否定することによって自由を獲得するという非常に逆説的な議論に私はとても強い関心を抱きました。アルチュセールもまた、およそもっとも独断的な仕方で推論するこの男が、じつは類いまれな精神の解放者であったとして、スピノザの「矛盾」に魅了されています。アルチュセールは、自分の見いだした唯物論の重要な発想がことごとくスピノザの中に書き込まれていたといいますが、実際「反ヒューマニズム」の立場をとることによって「ヒューマニズム」を救うことができるというとき、かれはスピノザとまったく同じスタンスに立っていたとみることができます。スピノザの思想は、独断論的・逆説的で、かなり過激かつスキャンダラスなものではあるのですが、そういう仕方でしか切り開かれない思想というものもあると思うのです。「別な ふうに考えること」という言葉がありますが、私自身、スピノザの哲学ほど自由にさせてくれる思想はありませんでした。 −新著『精神の眼は論証そのもの』は、ややタイトルが謎めいていますが、これはどういう意味なのでしょうか。 詳しくは本を読んでいただければわかると思いますので、ぜひこの本を読んでみてください(笑)。この本は全体で10の章からなっているのですが、その第6章として収められた論文に付したのがこのタイトルなのです。どこから読んでもそれぞれの章は関連しあっていますので、その意味では、この書名はこの論文だけのタイトルであってあとは関係ない、ということではありません。ほんとうは出版者がこのタイトルを気に入って、書名にしたがったという事情がいちばん大きな理由なのですが……。 この本の収録論文のなかに、想像的自我について取り上げた「われらに似たるもの」という論文(第5章)があります。われわれが自分自身についてもっている観念。それについてスピノザは『エチカ』の第2部で解き明かしています。そういう観念は、想像的な他者の一種の鏡像のようなものにすぎず、そこにとどまっている限りは自由ではないということなのです。では、果たしてほんとうの自我とは何なのか。それは現前したものでないもの、表象できないもの、思い浮かべることのできないものでなければなりません。スピノザのいう直観があらゆる表象を超えたものであるとするならば、そういうものと出会う道はどのようにしてつくられるのか。これに対してスピノザは、それは証明のなかでしか出会えないものだという。一般にスピノザは、知的直観とか、一種の悟りなど、とかく神秘的な色彩で捉えられやすいのですが、もしほんとうにそうであるなら、スピノザは普通の神秘主義者と本質的には何も変わらないということになる。スピノザの場合は、『エチカ』に叙述された論証を辿っていったら、いつのまにか自分が神のほうからやってくる、といったような 論証の仕方をとっています。これはデカルトの証明の仕方とは対極にある論証の仕方であるといってよいと思います。デカルトはつねに「私は」からはじめるのですが、スピノザの幾何学的証明は、いったい誰がそれを語っているのかがわからない。わからないままはじまり、最後になって証明を読んでいる私が、人称を持たない存在として証明そのもののなかから現れてくる。 −そういう論証を司るのが「精神の眼」であるということになろうかと思いますが、そうした「論証そのもの」たりうる精神の眼は、一般の人々でも持つことができると考えてよいのでしょうか。たとえば、現代のわれわれ、学生や教師、主婦やサラリーマンが『エチカ』を読んでも、スピノザの証明のプロセスのなかにそうした論証を辿っていくことは可能なのでしょうか。 それが不可能であるとはもちろんいえないでしょう。ただ、スピノザが他の哲学者と異なっているところ ―ここが面白いのですが― は、それを誰もがもたなければならないとはいわないことなのです。そんなものはもたなくたって一向に構わないんだというスタンスですね。スピノザの『エチカ』はユークリッド幾何学に倣った形式で叙述されていますが、この叙述の仕方からして、スピノザはそもそも誰かを対話的に教え導こうなどとはまったく考えていなかった、むしろそんなことはしてはいけないと考えていたのではないだろうかとさえ思えるのです。昔からよくいわれていることなのですが、『エチカ』がもしあんなスタイルで書かれなかったら、もっと多くの読者が得られていただろうという考え方があります。確かに一般の人が、はじめて『エチカ』を読む場合、あの幾何学的叙述にはおそらく辟易することでしょう。けれども私の考えでは、あのスタイルでなければ『エチカ』は書けなかった、『エチカ』はやはり幾何学的な形式で叙述される必然性があったと思うのです。結論だけ抜き出してきて、たとえば「神は唯一の実体である」などといってみたところ で、ほとんど何の説得力ももちませんし、それだけでは何を意味しているのかもわからない。『エチカ』を読んで注目すべき点は、むしろ論証を積み重ねていく過程のなかに、いくつかの驚くべき展開がみられることです。たとえば「実体」の捉え方にしても、普通の「実体」として叙述が始まるのに、論証のなかでそれが突然「神」になってしまう。しかし、あくまでもはじめの理解、概念を変更しないで、ただひたすら証明を展開させていく。こういう論理の展開は、普通の論述の形式では不可能だったのではないか。ちょうどゲーデルの証明と同じように、証明そのもののプロセスに眼を向けなければ何も理解することができない。結論だけ聞かされても「ああそうなんですか」としか応えようがないわけです。ですから、少なくともスピノザ自身は、一般の人にわかってもらおうなどとは考えていなかったのではないか。大衆に対してはある意味では冷たい思想なのかもしれません。しかし、それはまた、なんぴとも賢くあるよう義務づけられたり責めを負わされることはない、という大変おおらかで力強い思想でもある。このへんのスタンスが、たとえば『神学政治論』のような作品を、インテリにとってたいへん難しいものにしているのだと思います。(了) (1999年3月作成)
|
|||