精神医学における仮説の形成と検証/POWERMOOK 《精神医学の基盤》[5](大森哲郎 編)

POWER MOOK 《精神医学の基盤》[5]

9784906502547s精神医学における仮説の形成と検証
総合テーマ 精神医学における科学的基盤 No2】

 

責任編集=大森哲郎
[B5判 200p 本体(5000円+税) ISBN9784906502547/ ISSN2188-9546]
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抄録は、下記の目次から論文タイトルをクリックしていただくことでご覧いただけます。

 

 本書について(山脇成人 )

シリーズ第5 巻「精神医学における仮説の形成と検証」の責任編集を大森哲郎先生に担当していただいた。冒頭に,「精神疾患100 の仮説」(星和書店,1998)を出版された石郷岡純先生との対談が企画され,DSM の“功”と“罪”から始まる格調高い議論は,同世代の精神医学教育を受けたものとして共感できるものであった。
筆者は1979 年に医学部を卒業し,精神分析と脳機能への興味から,ただちに精神科に入局した。入局当初はKraepelin などのドイツ精神医学の教育を受けていた先輩から患者の主訴,成育歴,現病歴を詳細に聞き取ることを厳しく指導され,症例検討会ではドイツ語混じりの難解なカンファレンスが行われていた。ところが1980 年にAPA から発表されたDSM-III は瞬く間に世界を席巻して,一地方大学の症例検討会も様変わりし,従来診断とDSM 診断を併記する流れに変貌した。一方,治療においてはハロペリドールやイミプラミンなどの薬物療法が定着し,精神薬理学が隆盛を極めていたが,1970 年代の反精神医学運動により我が国の生物学的精神医学は大きく後れを取った。

精神疾患の主流であるモノアミン仮説は精神薬理学によってもたらされ,向精神薬開発に大きく貢献したが,その限界も指摘され,欧米メガファーマが向精神薬開発から撤退し,精神薬理学の危機が叫ばれた。国際神経精神薬理学会(CINP)はこの危機を克服するために,精神疾患の病態解明と新規治療法開発を加速するためには,精神医学,脳科学などの研究者,製薬企業,規制当局などの産学官が結集したPublic Private Partnerships(PPPs) が不可欠であると提唱した。米国ではBrain Initiative,欧州ではHuman Brain Project,日本でも脳科学研究戦略プロジェクトなどが展開され,精神疾患の仮説に基づいた脳科学研究が行われてきた。しかし,残念ながらいずれも「作業仮説」であり,決定的な仮説検証はまだ得られていない。・・・・・・

その時代の最先端脳科学技法を用いた「作業仮説」の検証は精神疾患という巨大なピラミッドを構築する1つ1つの石にしかすぎず,仮説検証も堂々巡りのように見えるが,その成果はピラミッドの頂上(病態解明)に向けて着実にスパイラルアップしていると思われる・・・・・・(A Final Remarkより)

【目次】
対談  精神医学における仮説の役割と現状(石郷岡純×大森哲郎) ………(コメンテータ:神庭重信)
メランコリー親和型とうつ病………(本村啓介)
食とうつ病:リスク因子と介入法について………(功刀浩)
モノアミンとうつ病:再考 モノアミン仮説はどこまで検証されているのか?………(中川伸)
うつ病の神経回路仮説とニューロフィードバック………(上敷領俊晴・岡田剛・高村真広・市川奈穂・岡本泰昌)
双極性障害の分類とスペクトラムをめぐる仮説と検証………(仙波純一)
統合失調症というカテゴリー………(大森哲郎)
神経発達障害仮説の形成と検証 統合失調症の臨床病期ごとの脳病態解明を目指して………(笠井清登)
統合失調症ドパミン仮説からグルタミン仮説へ………(西川徹)
統合失調症のゲノム研究 全ゲノム関連解析がもたらした成果と臨床応用の可能性………(谷口賢・齋藤竹生・池田匡志・岩田仲生)
iPS細胞からみえる統合失調症の特徴………(豊島学・原伯徳・吉川武男)
神経症の消滅とその後の展開………(黒木俊秀)
不安・ストレス・セロトニン仮説………(井上猛・内田由寛・館千歌)
ASDをめぐる仮説とその検証………(岡田俊)
ADHDの病態は明らかとなったか 仮説というファントム………(岩波明,林若穂)

コラム:いつまでも仮説で良いのか………(加藤忠史)
A Final Remark ……… (山脇成人)

 

抄録(および主な内容)

対談  精神医学における仮説の役割と現状石郷岡純×大森哲郎)
DSMの“功”と“罪”/「神経症」という概念が完全に消えてしまう!?/ドーパミン仮説の本質,治療学的な意義とは/精神疾患における真のエンドポイント/認知機能,発達,パーソナリティと発症/心と脳の問題と社会因説/Further Discussio:対談を終えて(大森哲郎)/対談を終えて,あるいは「対談の序文」に代えて(石郷岡 純)/コメンテータ:神庭重信“Perfect is the enemy of good”

メランコリー親和型と社会 ―精神医学史研究に向けて
抄録:メランコリー親和型とは,ドイツの精神科医Tellenbach Hが提案した(内因性)うつ病の病前性格であり,几帳面,良心的,勤勉といった特徴をもつものであった。1970 ―1980年代の日本では,本国のドイツ以上にこの概念が有名になっていたが,その後はドイツでも日本でも,このような特徴を持つうつ病患者は滅多にみられなくなっていった。メランコリー親和型のこのような盛衰がどのようにして生じたのかは,不明なままとなっているが,本稿では,このような性格が社会的要因に強く影響されたものであったという仮説を提示し,そのような関係を検証する医学史的研究の可能性について論じた。[キーワード:本質主義,総力戦体制,日本型雇用,社会構築主義,精神医学史](本村啓介)

うつ病治療における食事・栄養
抄録:  現代の食生活は豊かであると一般に考えられているが,栄養学的にみるとバランスを欠きやすい現状にある。近年,うつ病リスクと関連する食事・栄養学的要因や介入研究のエビデンスが蓄積され,うつ病治療において重要な戦略の1つとなった。肥満,メタボリック症候群,糖尿病といったエネルギー過剰摂取による病態はうつ病と双方向性の関連がある。また,食の欧米化や製品化によるバランス異常による微量栄養素(ビタミン・ミネラル)の不足やn-3系多価不飽和脂肪酸不足がうつ病と関連するという報告が蓄積され,欧米では健康食(地中海式食事や炎症を引き起こしにくい食事)がうつ病リスクを低下させることがメタアナリシスによって示されている。微量栄養素では葉酸やビタミンDといったビタミンや,鉄,亜鉛などのミネラルの不足が多く,うつ病との関連が指摘されている。腸内細菌とうつ病との関連やプロバイオティクスの有用性も指摘され始めている。また,運動は脳機能に良好な影響を与え,うつ病の予防・治療効果についてのエビデンスも蓄積されている。本稿では,これらについての知見を筆者らの検討も含めて概観し,うつ病患者に対する食事・栄養学的介入法についてまとめてみた。[キーワード:栄養,食事,運動,うつ病, 炎症](功刀浩)

モノアミンとうつ病:再考
抄録:うつ病の病因としてセロトニン,ノルアドレナリン,ドパミンなどのモノアミンが減少しているとする「モノアミン仮説」が古くから提唱されている。この仮説はどこまで検証されているのであろうか?本稿ではモノアミン神経伝達,仮説の成り立ち,検証,そして派生してきた知見を概説する。
モノアミン神経伝達は概ねグルタミン酸神経伝達を修飾するものである。Reserpineを投与された患者の気分変動,そして動物実験によるセロトニンの枯渇作用から仮説は始まり,セロトニン再取り込み作用があるimipramineの抗うつ作用で導き出された。多くの基礎実験で裏付ける知見が得られてきているが,測定技術の限界でうつ病患者では直接的に検証できていない。しかしながら,多くの抗うつ薬を生み出し,いくつかのうつ病の成因仮説または治療仮説を生み出してきた。モノアミン仮説を超える可能性のある新規の抗うつ薬開発が進んでおり,今後はさらに多くの知見が得られていくであろう。[キーワード:ドパミン,セロトニン,ノルアドレナリン,グルタミン酸,抗うつ薬](中川伸)

つ病の神経回路仮説とニューロフィードバック
抄録:近年の脳画像研究の進展により,精神疾患の病態に関与する神経ネットワークの異常が明らかになってきている。うつ病では,主に機能的MRI(fMRI)を用いた研究から,背外側前頭前野の低活動,扁桃桃体の過活動,デフォルト・モード・ネットワークの過活動などが示唆されている。また,安静時fMRIの機能的結合データに機械学習の手法を適用し,うつ病のバイオマーカーを確立しようという試みや,治療反応性が均一な臨床群を同定する研究も行われている。これらの知見をもとに,fMRIで同定したうつ病のバイオマーカーを,ニューロフィードバック法により直接調整する治療法の開発も進められている。[キーワード:うつ病,バイオマーカー,ニューロフィードバック,fMRI,機能的結合](上敷領俊晴,岡田剛,高村真広,市川奈穂,岡本泰昌)

双極性障害の分類とスペクトラムをめぐる仮説と検証
抄録:Kraepelinは内因性精神病を統合失調症と躁うつ病に分類した。その後,躁うつ病は単極性うつ病と双極性障害に分割され,1970年代にDunnerが双極性障害をさらにⅠ型とⅡ型に分類した。現在ではこの分類法がDSM-5やICD-11の両方で認められている。しかし,双極性障害は,症状の特徴・重症度やエピソードの出現様式が多様で,均一の疾患とみなしにくい。したがって,単極性うつ病から双極性障害にまたがる領域をスペクトラムとして捉える「双極スペクトラム」概念が成り立つ。この仮説はAkiskal, Angst, Ghaemiらによって提唱された。いずれも,スペクトラムは診断閾値下のうつ病や軽躁病,パーソナリティや気質にまで大きく展開しているのが特徴である。そこでは,双極性障害になりやすい多くのリスク因子が抽出されているが,それらは必ずしも客観的なマーカーに基づいていない。双極スペクトラムの有用性を検証する上で,双極Ⅱ型の位置づけは,病因論だけでなく治療の上でも重要である。しかし,双極Ⅱ型をⅠ型と区別して行った研究は少ない。現時点での認知機能,遺伝子,脳画像などの生物学的研究をまとめると双極Ⅱ型をⅠ型からはっきりと区別できるような所見は得られていない。薬物療法においても,双極Ⅰ型と大きな違いはないが,抗うつ薬の併用については許容的な意見が多い。今後は,双極スペクトラムを検証するために,その複雑な経過や症状をパラメータとする多面的なアプローチが必要であろう。[キーワード:双極性障害,双極スペクトラム(障害),生物学的研究,薬物療法](仙波純一)

統合失調症というカテゴリー
抄録:Kraepelin による提唱,Bleuler による再解釈と命名,Jaspers とSchneider による疾病論の精緻化を経て,従来診断の統合失調症の概念は成立していた。その後,顕在発症に先立って幼少期から認知機能障害を認めるという観察から,統合失調症は一種の神経発達障害であるという見方が生じた。すると一度は否定された自閉症スペクトラム症との連続性にあらためて関心が向かうとともに,未発症との連続性も問われるようになった。Schneider 以来の課題であった双極性障害との関係については,諸研究が連続性を支持している。疾患内のバリエーションは大きいが,異種性を切り分ける試みは成功していない。DSM-5 では,部分的にディメンジョナルな見方が取り入れられ,妄想型と解体型という亜型が廃止され,緊張病症状が切り離されるなどの変更がなされた。臨床分類から離れ,神経機能系に立ち返って研究を進めるという米国国立精神保健研究所の動きもある。これら一連の変遷は,Kraepelin の仮説に対する100 年以上にわたる検証と修正の歴史とも言える。今後の研究の進歩が疾患概念にどのように影響してゆくか注目される。[キーワード:統合失調症,Kraepelin, 疾患概念,カテゴリー,ディメンジョン](大森哲郎)

神経発達障害仮説の形成と検証
抄録 統合失調症の病態仮説として1990年代までに確立した「神経発達障害仮説」によると,遺伝的素因や周産期の環境因による神経発達障害という脳発達過程の初期の異常により,その後の脳発達trajectoryに変化が生じ,思春期以降に発症に至るが,発症後早期の臨床的進行に対応する分子病態は不明とされた。2000年代に入り,統合失調症初回エピソード患者を縦断的にフォローし局所脳体積の変化を検出しようとする研究が行われた結果,上側頭回などの灰白質体積や関連する神経生理学的指標に進行性減少を認めた。このような発症後早期の研究により,神経発達障害仮説に修正がなされ,統合失調症の臨床病期概念が提唱されるとともに,先行する発症前駆期(prodromal stage)における研究に注目が集まった。統合失調症の発症を予測するためのat risk mental state (ARMS)という操作的基準が設けられ研究が行われた結果,この病期から初回エピソード患者と同様な脳構造・機能異常があることが明らかとなった。これらの臨床研究の結果を踏まえ,臨床病期ごとの分子・回路異常を同定できれば,新たな治療戦略の開発に大きく資すると期待され,げっ歯類,非ヒト霊長類,ヒト,疾患のトランスレーショナル研究が進められている。[キーワード:統合失調症,神経発達障害仮説,初回エピソード,前駆期,臨床病期,アットリスク精神状態](笠井清登)

統合失調症ドパミン仮説からグルタミン酸仮説へ
抄録:統合失調症の幻覚・妄想を中心とした陽性症状を改善する抗精神病薬が,その力価と正の相関を示すドパミンD2受容体遮断作用をもつこと,およびドパミン作動薬が統合失調症様の幻覚・妄想状態を引き起こすことに基づいて,統合失調症の病態に脳内ドパミン伝達亢進が関与することが推測され,「ドパミン仮説」として広く認められている。しかし,抗精神病薬は,感情表出の障害・意欲の低下,思考・会話の貧困等の陰性症状や,遂行機能,注意,ワーキングメモリ等の障害を主体とした認知機能障害にはほとんど効果を示さないため,「ドパミン仮説」は主に陽性症状の発現機序を説明していると考えられる。これに対して,(1)NMDA型グルタミン酸受容体(NMDAR)の遮断薬が,統合失調症と鑑別が難しい,陽性・陰性症状および認知機能障害を誘発することや,(2)本受容体機能阻害作用をもつ抗NMDAR抗体による脳炎の患者でも同様の統合失調症様状態がみられること,(3)NMDAR遮断薬が脳内のドパミン伝達を亢進させる,等から,NMDARを介するグルタミン酸伝達の低下が,統合失調症全体の神経基盤に係わっていると推測されるようになった。この病態の捉え方は「グルタミン酸仮説」と呼ばれ,「ドパミン仮説」を抱合するものとして,NMDAR機能賦活薬等の,既存の抗精神病薬に反応性・抵抗性双方の症状に奏効することが期待できる,新しい治療法開発に応用されている。[キーワード:NMDA型グルタミン酸受容体,グリシン調節部位,L―グルタミン酸,D―セリン,統合失調症,ドパミン](西 川徹)

統合失調症のゲノム研究
統合失調症は有病率が約1%のありふれた疾患(コモンディジーズ)であり、遺伝的要因の関与が大きいこと(遺伝率約80%)が以前から指摘されている。ただし、1990年代に普及した連鎖解析や候補遺伝子の関連解析では、目立だった結果は得られなかった。しかし、2000年代後半に普及した全ゲノム関連解析 (GWAS: Genome Wide Association Study)という方法論は革命的な結果をもたらし、統合失調症を含めた精神疾患でも多くの疾患感受性遺伝子が同定されるようになった。GWASでは数10万から100万以上という膨大な一塩基多型 (SNP: Single Nucleotide Polymorphism)を網羅的に解析することが可能となり、100を超える遺伝領域が有意と報告されている。しかし、その一つ一つに焦点を当てるとその効果量は小さく、それら「小さい効果量の感受性SNP」の集合体が相加的に作用し、発症に寄与するPolygenic modelという仮説が一定の支持を集めている。本稿では統合失調症のゲノム研究、特にSNPやコピー数変異 (CNV: Copy Number Variant)についての説明や現時点での研究成果を概説する。さらに多遺伝子リスクスコア (PRS: polygenic risk score)などのゲノム研究の臨床応用や今後の展望についても紹介する。[キーワード:統合失調症, 精神科遺伝学, 全ゲノム関連解析](谷口賢 齋藤竹生 池田匡志 岩田仲生)

iPS細胞からみえる統合失調症の特徴
抄録:統合失調症は幻覚や妄想等の陽性症状,感情の平板化や意欲低下,ひきこもり等の陰性症状,認知機能障害が主な症状であり,生涯発症率は約1%と考えられている。統合失調症の極めて有力な病因仮説として,「神経発達障害仮説」が知られているが,倫理的な問題からヒト由来サンプルを用いて直接的,かつ具体的にこの仮説を検証することはこれまでは不可能であった。しかし,近年開発されたiPS細胞の技術を用いることで,ヒト検体からiPS細胞を樹立し,神経細胞を分化誘導することが可能になった。この技術を用いることにより,統合失調症患者の発達期の脳内においてどのような神経発生・発達の障害が起きているか,実際に検証することが出来るようになった。統合失調症のiPS細胞研究は,これまで100報以上の論文が報告されており,これらの報告の中では,神経発達障害に関連する神経伝達やシナプスの変化,神経幹/前駆細胞や神経細胞への分化・発達の異常が示されている。さらに,ミトコンドリアの変化やシグナル伝達の変化も報告されている。本稿では,このような統合失調症患者由来iPS細胞からみえてきた細胞表現型の特徴を概説する。[キーワード:統合失調症,iPS細胞,神経発達,シナプス,ミトコンドリア,シグナル伝達](豊島学,原伯徳,吉川武男)

神経症概念の消滅とその後の展開
抄録:かつて神経症は,「非器質性,非精神病性の心因性機能障害」と定義されていたが,その概念は極めて曖昧であった。1980 年に発表されたDSM-III は,神経症の病名を廃し,不安障害ほかの大カテゴリーに神経症亜型を再分類した。2013 年に発表されたDSM-5 では,近年の機能的神経画像所見に基づき,強迫症と心的外傷後ストレス障害を,パニック症,社交不安症,限局性恐怖症が属する不安症群の大カテゴリーとは独立した大カテゴリーにそれぞれ分類した。また,不安と抑うつを呈する病態のカテゴリー的区別の妥当性が疑問視されるようになった。以上のような,DSM における不安症の分類と定義の変遷は,神経症概念の終焉を明示しているが,同時に私たちの臨床的視野も底の浅いものになっているかもしれない。[キーワード:DSM-III,DSM-5,不安症,恐怖関連神経回路,心因性](黒木俊秀)

不安・恐怖のセロトニン仮説
抄録:不安・恐怖の神経回路が1990年代から解明されたことにより,抗不安薬の作用機序の解明が進んだ。不安・恐怖の中枢は扁桃体であり,その他の脳部位とのつながりも不安・恐怖に重要な役割をはたしている。様々な不安・恐怖の動物モデルのうち,恐怖条件付けストレスモデルはベンゾジアゼピン系抗不安薬と選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)の効果を検出できるモデルであり,神経回路解明において中心的な役割をはたした。恐怖条件付けストレスモデルではSSRIは不安・恐怖の獲得過程と発現過程の両方において抑制作用(すなわち抗不安作用)を示した。SSRIの扁桃体基底核への脳局所投与は抗不安作用を示し,同部位の神経活動を抑制すること,その作用はセロトニン1A受容体を介していることが明らかになった。一方,不安・恐怖においてセロトニン神経伝達が亢進するが,増加したセロトニンは不安・恐怖を軽減していると考えられる。以上のように,扁桃体のセロトニンを刺激することにより不安・恐怖を軽減する仮説が有力である.[キーワード:不安,恐怖,恐怖条件付けストレス,セロトニン,扁桃体](井上猛,内田由寛,館千歌)

自閉スペクトラム症をめぐる仮説とその検証
抄録:自閉スペクトラム症は,神経発達症の一つに位置づけられ,コミュニケーション障害の水準に基づく下位診断は廃止された。しかし,自閉スペクトラム症は,自閉症からアスペルガー障害,特定不能の広汎性発達障害に至るスペクトラムというよりも,定型発達から連続的に分布する特性によって診断されるというべきであり,その診断閾値の根拠は見いだされていない。自閉スペクトラム症の病態仮説は認知機能,その背景をなす脳機能,脳構造へと急速に進展してきた。しかしながら,その本態は神経発達の異常であると考えられ,その解明はまだ緒に着いたばかりである。生得的な遺伝的要因の関与が大きいものの,近年の研究は,マイクログリア異常や脳腸相関,エピジェネティックスなどの獲得的要因についても検討が進められている。また,併存障害との関係も病因・病態レベルで明らかにし得るかもしれない。今後の研究によって,自閉スペクトラム症の病態仮説が進展することが期待される。[キーワード:自閉スペクトラム症,認知機能,脳画像,遺伝要因,環境要因](岡田俊)

ADHDをめぐる仮説と検証
抄録:1775年にドイツの医師Weikardが,「Attention Deficit」として現在のADHDの原型となる症候を報告してから200年以上立つ。これまで疾患分類や診断の見直しが繰り返されると同時に,様々なADHDの病態仮説が提起,検証されてきた。Minimal brain dysfunction(MBD)仮説は脳損傷症例の検討や脳画像技術の発展とともに否定され,実行機能障害というsingle deficit modelに変わるが,これも神経心理検査の発展普及により,機能障害の多様性が明らかにされ,dual pathway,triple pathway,さらにはsix-factor modelへと進化していく。中枢神経刺激薬の開発や遺伝子研究はモノアミン仮説を支持し,近年は脳ネットワークの発見によりdefault mode network(DMN)仮説も注目されている。しかし,いずれの仮説も疾患特異性の問題や,症状と機能障害の分離問題を抱えている。
本稿では,ADHDの主要な病態仮説についてふりかえり検証を行った。[キーワード:注意欠如多動性障害(ADHD),微細脳機能障害(MBD),二重回路モデル,発達障害](岩波明,林若穂)