POWERMOOK 《精神医学の基盤》[3]
精神医学におけるスペクトラムの思想
責任編集=村井俊哉/村松太郎
[B5判 212p 5000円+税 ISBN9784906502523]
【学樹書院ショッピングサイトで購入】
収録論文の抄録はこちらからご覧いただけます。
【本書について】精神科の臨床や研究の場で「スペクトラム」という言葉を耳にすることが最近増えてきた。学術論文では、双極スペクトラム、強迫スペクトラム、自閉症スペクトラム、統合失調症スペクトラムなどの言葉が、頻繁に用いられるようになっている。精神科診断だけでなく医学診断一般はカテゴリー的に定義されることが通常であるが、それを連続体として考えようという「思想」が精神科において優勢になってきている。実際、2013年に出版されたアメリカ精神医学会の診断基準集DSM-5では、統合失調症と自閉症について「スペクトラム」の語が明示的に書き込まれた。このうち「自閉スペクトラム症」の用語は、早くも我が国の日常臨床の中に定着しつつある。
本書は学樹書院から出版されている《精神医学の基盤》シリーズの第3巻となる。このシリーズでは先行する2冊においても、精神医学の知見の網羅やマニュアル的情報の効率的提供ではなく、精神医学の土台をなす思想、方法論、あるいはパースペクティブそのものを問うことが目指されてきた。この第3巻ではその方針をさらに先鋭化させ、思想、方法論、パースペクティブが互いに異なる気鋭の研究者・臨床家に、それぞれの立ち位置からの論稿を寄せていただいた。執筆者間の主張の間で整合性をとり矛盾を解消するような編集作業は一切行っておらず、予定調和的な結論も最初から目指さなかった。むしろ、そこに存在してしかるべき意見の多様性を敢えて際立たせることを、執筆者の選定を含めた編集の大方針とした。
「スペクトラムの思想」というテーマが一応あるとはいえ、執筆陣の力量と熱意によって、本書は「精神科診断学の哲学」一般についての本格的な論稿集といえる仕上がりとなった。本書を通じて精神医学の概念的基盤に関わる問題の複雑さと奥行きを読者の皆様に体感いただき、他書では味わうことのできない「精神医学における思索の歓び」を共有していただければ、本書はその主要な目的の一つを達成したことになるといえよう。
【目 次】
はじめに(村井俊哉)
[対談]精神医学におけるスペクトラムの思想(村井俊哉×村松太郎)
▼スペクトラムの概念
分子遺伝学からみたスペクトラム精神医学 ………(近藤健治/池田匡志/岩田仲生)
臨床研究から捉えたスペクトラム………(武井教使)
スペクトラム概念と精神科疾患 ………(兼本浩祐)
DSMにおけるスペクトラムの思想 ………(黒木俊秀)
スペクトラム論の源流………(山岸洋)
スペクトラムの概念と反精神医学………(深尾憲二朗)
▼スペクトラムと精神疾患
統合失調症におけるスペクトラムというメタファーの導入の意義と問題点………(前田貴記/沖村宰/野原博)
双極スペクトラム:光との関係性から読み解く試み………(寺尾岳)
個人が悩みをかかえきれなくなったとき,社会的に求められる機能を果たせなくなったとき,精神科医療は何ができるのか: うつ病概念と,それが指し示す範囲すなわちスペクトラム………(大前晋)
自閉スペクトラム症の意義と問題………(十一元三)
強迫スペクトラム障害の概念と意義,そして問題………(松永寿人)
神経症圏障害(摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害)のスペクトラム:社交不安スペクトラムと境界性パーソナリティ障害スペクトラム,およびプロトタイプ診断と診断横断的治療………(永田利彦)
カテゴリー/ ディメンジョンと精神鑑定 ………(村松太郎)
スペクトラムの概念から考える精神科薬物療法 ………(冨田真幸)
スペクトラム論の行方 ………(村井俊哉)
▼エッセイ
精神医学は科学か? ………(山内俊雄)
高次脳機能障害、特に前頭葉機能障害を抑制障害として捉える ………(鹿島晴雄)
▼コラム
ジェンダーとスペクトラム ………(香山リカ)
精神分析におけるスペクトラム的思考と弁証法的思考 ………(岡野憲一郎)
製薬マーケティングとスペクトラム ………(田島治)
――あとがき ………(村松太郎)
[対談]精神医学におけるスペクトラムの思想………(村井俊哉×村松太郎)
対談の骨子(見出し) DSM が苦戦したカテゴリー対ディメンション問題/期待される「DSM-5に対する批判」/患者と治療者とのインタラクティヴな作業/聞き入れられない説明では意味がない/ディメンションはノーマライゼーションに寄与したか/「目的に基づく精神医学」は日和見主義的に判断/
▼スペクトラムの概念
分子遺伝学からみたスペクトラム精神医学 ………(近藤健治/池田匡志/岩田仲生)
抄録:古くから行われてきた精神医学における遺伝子研究は,2000 年代に入り急速に発展した。ヒトゲノム配列が完全に解読され,シーケンサーの機能が改善し,またゲノムの情報処理技術が進歩したことにより,全ゲノム関連解析や全エクソン・ゲノムシーケンスなどの新たな手法が導入されたからである。加えて,ときに国境を越える共同研究体(コンソーシアム)が各地で結成され,各精神疾患のサンプルの整備が進んだことにより,多岐に渡る詳細な探索を単一の精神疾患だけでなく複数の精神疾患で行うことが可能となっている。
その結果われわれは,精神疾患は考えられていた以上に複雑な構造をもっており,従来のカテゴリー分類では真の病態生理に迫ることが困難であるということを認識させられている。つまり,新たな評価法・概念が導入されるべき時期が到来しているのである。
本稿では疾患特異的な感受性遺伝子の解明を目指し行われたそれらの代表的な研究結果を振り返りつつ,そこから明らかとなった精神疾患の遺伝的要因の共通性についても触れることによって,「スペクトラム精神医学」を分子遺伝学的な観点から概説する。
(キーワード:全ゲノム関連解析(genome-wide association study)ポリジェニック・コンポーネント解析(polygenic component analysis),Cross-phenotype)
臨床研究から捉えたスペクトラム………(武井教使)
抄録:精神医学関連において用語“スペクトラム”の登場は古く,統合失調症の治療的枠組みに1960 年代に既に用いられ始めた。スペクトラムの当初の使用は,治療への反応類似性などを指針に,単にある障害群の固まりを大きくひとくくりにまとめたものに過ぎなかった。その背後に明確な病態の共有を想定したものではない。しかし,20 世紀後半世界共通の診断基準(ICDやDSM)が確立されたことで,科学的データの集積が実現し,スペクトラムはより積極的意味をもつに至った。信頼に足るデータ集積の結果,従来想定されていた以上に,障害の単位を越えての共通性,あるいは,診断亜型間の類似性(特性の共有)が明らかになって来た。つまり,想定以上の連続体(まさに,スペクトラム)の存在である。一例は,ゲノムワイドスニップ調査による,5 障害(統合失調症,双極性障害,大うつ病,自閉症スペクトラム障害,注意欠如・多動性障害)間の強弱の差はあるものの遺伝子相関である。研究領域では,症候や特性,内的表現型endophenotype のより客観的評価の精度向上の意図からも,カテゴリー評価に勝る,次元的(連続的,数量的)評価の重要性がますます認識されだした。今日広く受け入れられているスペクトラムは限定的に用いられているが,数多ある精神障害の本態(病態)は,遺伝的関与,環境要因による影響,障害の形成される時期(とりわけ神経発達期)に応じ,多層的,階層的複数の軸(次元)から理解されるかもしれない。(キーワード:診断間の特性共有,内的表現型,次元的把握)
スペクトラム概念と精神科疾患:基本理念としてはスペクトラム概念は反DSM 的であること………(兼本浩祐)
抄録:スペクトラムという考えは,疾病分類に関する伝統的なカテゴリカルなアプローチに対するアンチ・テーゼとしてのディメンジョナルなアプローチと不可分の関係にある。スペクトラム概念も,ディメンジョンとカテゴリーの対比も,耳新しく装いを新たにしてはいるが,20 世紀前半のドイツ精神医学においてすでに精神医学の中心的な問いかけの1 つであった。本稿では,まずは,統合失調症をモデルとして具体的にスペクトラム概念がどのように展開されているかを考え,そこから連続性とは何か,発病とは何かという一般論に一度もどった上で,うつ病,双極性障害,自閉症を個々に検討し,さらにまた一般論に戻るといった仕方でこの問題を考えてみた。DSM診断体系は本来は徹底して原因論を排除し,当座の症候のみ,あるいは現象のみから精神疾患の区分を行うことを目指す体系であるから,特定の原因が様々の表れの形を取るというスペクトラム概念とは原理的には相いれない。そういう意味で表層の症状を貫く縦軸としてのその背景に存在する共通構造を問題とするスペクトラムという概念が近年隆盛となっているのは,DSMの広汎な使用と相互補完的であるともいえる。(キーワード:スペクトラム概念,ヤスパース,発展,過程,カテゴリカル,ディメンジョナル,DSM診断)
DSMにおけるスペクトラムの思想 ………(黒木俊秀)
抄録:個々の精神疾患同士の境界は明瞭ではなく,ほとんどの疾患群は連続性にスペクトラムとして分布している可能性が示唆されている。その認識に基づいて,DSM-5 開発の当初,精神疾患診断のカテゴリー的モデルからディメンジョン的モデルへのパラダイム転換が提唱された。その主たる根拠となったのは,1990 年代以降の計量心理学領域の数々の知見であり,①精神疾患分類の2 因子構造モデルの提唱,②パーソナリティ特性の5 因子モデルFive-Factor Model(FFM)の発見,および③タキソメトリック分析による精神疾患の潜在構造の解析の3 つがとくに重要な影響を与えた。こうした背景のもとにDSM-5 ではDSM-IVに構造的な改訂が加えられた。(キーワード:精神科診断,ディメンジョン的モデル,因子分析,5 因子モデル,タキソメトリック分析)
スペクトラム論の源流………(山岸洋)
抄録:医学史および精神医学史におけるスペクトラム論の起源を歴史的に考察した。ギリシア・ローマの体液学説は今日のスペクトラム論を先取りしたものとも言える。なかでも特にカッパドキアのアレタイオスが,メランコリーとマニーとの関係で後の単一精神病論と関連するような記述を行なっていることが注目される。19 世紀のドイツ精神医学における単一精神病論は,単一不可分の心(Seele)を前提としており,すべての精神障害は心固有の法則にしたがって起こるのであるから,病因の種類によらず,同一の経過パターンをとるだろうと考える。また,ほとんどの単一精神病論者は,精神障害は,心の中心点をなす心情(Gemüt)の病であるメランコリーによって発症すると考えていた。メランコリーを通過したあとに,さらに病像が進行すれば躁状態や妄想状態が現われてくるとされた。ただしこの図式では病気がどこまで進行するかを前もって予測することはできない。単一精神病論は19 世紀中頃に強い影響力をふるっていたが,グリージンガーがメランコリーを介さずに妄想をもって発症する精神病の病型(当時「一次性狂気」,あるいは「パラノイア」と呼ばれた)を承認したことにより,急速に衰退し,やがてクレペリンの疾患単位論に精神医学の支配的地位を譲ることになった。精神医学の歴史の大きな流れの中で見るとカテゴリー論よりもスペクトラム論の方が古い起源をもつと言えるのかもしれない。少なくともこの200 年の精神医学の流れは,近年の流れとは逆に,スペクトラムからカテゴリーへと向かっていたのである。(キーワード:スペクトラム,カテゴリー,精神医学史,単一精神病,カッパドキアのアレタイオス,グリージンガー)
スペクトラムの概念と反精神医学………(深尾憲二朗)
抄録:近年,第二次反精神医学運動とも呼ぶべき精神医学に対する新たな批判運動が湧き起こっているが,スペクトラムの概念は反精神医学運動にとってどのような意味をもつだろうか? 精神医学におけるスペクトラムの概念の使用法は現在すでに混乱しており,各疾患概念の連続性を意味する「横のスペクトラム」と健常との連続性すなわち次元を意味する「縦のスペクトラム」が明確に区別されていない。歴史を溯れば,統合失調症と双極性障害を区別しない単一精神病学説が影響力をもっていた時期があるが,将来,再び統合失調症スペクトラム障害と双極性スペクトラム障害は合体して「単一精神病スペクトラム」を形成する可能性がある。またそれだけでなく,「単一精神病スペクトラム」は健常と接続されて次元の要素を含むことになるだろう。このようなスペクトラムの概念はあらゆる差別に反対するラジカリズムを含意している。それが敷衍されれば,男女の性別を連続体と見なす「性別スペクトラム」や,人間と動物を区別しない「動物スペクトラム」の構想に行き着くが,現実の精神障害との関係においては,単純に貫徹されることはできない。「性別スペクトラム」における性別違和の位置づけ,あるいは「動物スペクトラム」における知能の高さによる価値づけの問題は,「スペクトラム・ラジカリズム」と現実の精神障害との接点に生じる複雑な様相の例である。
▼スペクトラムと精神疾患
統合失調症におけるスペクトラムというメタファーの導入の意義と問題点………(前田貴記/沖村 宰/野原 博)
抄録:スペクトラム(spectrum)とは,複雑で多様な事物・事象について,特定の成分を軸として並べ直してみたときに,それら対象群が或る像を描いて新たに並び現れたもののことである。DSM-5 がスペクトラム概念を導入した背景には,“カテゴリー診断”から“ディメンジョン診断”への移行という流れにおいて,スペクトラム化することによって,カテゴリー診断とディメンジョン診断を両立させたいという意図があると思われる。スペクトラム化において重要なのは,軸の選定であるが,統合失調症スペクトラムについては,どのような軸のもとに類縁障害群を並べ直したのかが定かではないという点が大きな問題であり,スペクトラムとして何の像も結んでおらず,メタファーに留まっていると言わざるを得ない。少なくとも,診断基準にメタファーを使用してはならないであろう。
Jaspers-Schneider による伝統的な精神科診断学からみれば,DSMにおいては,実体としての「類(Gattung)」と,理念型としての「類型(Typus)」とが,障害(disorder)の名のもとに,同列に扱われている点が問題である。統合失調症をはじめ多くの精神障害は,未だに「類型」に留まっているということを忘れてはならない。物理的な実体である「類」をスペクトラム化するための軸を選定することは可能かもしれないが,そもそも「類型」をスペクトラム化するための軸を選定することは原理的に不可能なのかもしれない。スペクトラム概念の導入は「類」としての精神障害を前提としていることの現れであり,あらためて自然科学と精神病理学の界面に生じる精神科診断学の問題の構図について考える必要があろう。(キーワード:精神科診断学,カテゴリー診断,ディメンジョン診断,理念型(Idealtypus),類型(Typus),類(Gattung))
双極スペクトラム:光との関係性から読み解く試み………(寺尾岳)
抄録:双極性障害とうつ病を独立したものとみなすDSM-5 の立場とは逆に,これらを連続したものとみなす立場があり,そこではこの連続体は双極スペクトラムと呼ばれている。双極スペクトラムは,双極I 型障害,(双極II 型障害を含む)軽微双極性障害,単極性うつ病を含み,この順にエネルギー水準が低下すると考えられる。しかしすべての要素が連続しているわけではなく,薬物反応性に関しては,双極I 型障害と軽微双極性障害が気分安定薬に反応し,単極性うつ病が抗うつ薬に反応するという違いが認められ,軽微双極性障害と単極性うつ病を分ける変曲点(連続しつつも違いをもたらすもの)が存在すると考えざるを得ない。おそらくそれは疾患の背景に存在する気質の分布の違いであって,発揚気質や循環気質などが挙げられる。さらに,発揚気質者は光を多く浴びており,循環気質者は光をあまり浴びていないことを考慮すると,気質には光が関連していることが示唆される。他方,疾患レベルにおいては,双極I 型障害,(双極II 型障害を含む)軽微双極性障害,単極性うつ病のエネルギー水準に,光の照射量が対応すると考えられる。これらを発症した後においても,光を照射したり,遮ったりして気分の安定化をもたらすことが期待できる(light modulation therapy)。光の照射量は連続量であるので,双極スペクトラムは光のスペクトラムに対応していると考えることができる。以上をまとめると,双極スペクトラムもその背景にある気質も光のスペクトラムと関連していると読み解くことができる。
(キーワード:bipolar spectrum, light, bipolar I disorder, bipolar II disorder, temperament)
個人が悩みをかかえきれなくなったとき,社会的に求められる機能を果たせなくなったとき,精神科医療は何ができるのか:うつ病概念と,それが指し示す範囲すなわちスペクトラム………(大前晋)
抄録:英語でいう「デプレッション」は,「(通常の)抑うつ」,「(通常ではない)抑うつ」,「喜びの喪失」という3 つの異なった症状,これらに順に対応する「悲しみ」群,「抑うつ神経症」群,「うつ病」群という3 つの異なった診断に分類される。個人が悩みをかかえきれなくなったとき,社会的に求められる機能を果たせなくなったとき,精神科医療が寄与すべき要所は,二段階に分けられる。
第一段階では,個人の悩みや社会的機能不全のひとつひとつが,精神科医療ではなくあくまで個人あるいは社会の問題としてとりあつかわれるべき問題なのか,それとも精神科医療にゆだねられるべき問題なのかを判断する。この段階でもっとも必要なのは,「(通常の)抑うつ」と「(通常ではない)抑うつ」の区別よりもむしろ,その個人に必要なのは仕事なのか,金銭なのか,話を聞いてくれる人間なのか,そして個人は周囲にこれらを求められる環境にあるか否か,という評価である。
第二段階では,精神科医療にゆだねられるべき問題のもととなる障害を鑑別し,それにもとづいた治療をおこなう。その際に「(通常ではない)抑うつ」と「喜びの喪失」の鑑別,すなわち「抑うつ神経症」群と「うつ病」群の鑑別が要求される。
「抑うつ神経症」群ならば薬物療法は対症療法にとどまり,対話や薬物療法で苦痛をやわらげながら,状況の改善をはかっていく,あるいは時間の流れを味方につけて事態の好転を待つことが,治療の目標となる。
「うつ病」群は精神療法が回復をもたらすことはなく,抗うつ薬,とくに古典的な三環系抗うつ薬や電気けいれん療法が有効である。うつ病の人を励ますのは的外れどころかしばしば有害だが,悲しみにある人や抑うつ神経症の人に対しては,その限りではない。しばしば適切かつ有効な手立てである。(キーワード:悲しみ,大うつ病性障害,DSM,神経症,うつ病,喜びの喪失)
自閉症スペクトラムの意義と問題点………(十一元三)
抄録:本稿の前半では,自閉症の登場から現在の自閉スペクトラム症概念に至るまでの変遷について展望した。そこではKanner(1943)およびAsperger(1944)の報告した症例の特徴を確認しながら,米国精神医学会(DSM)の改訂過程をたどり,現在のDSM-5 が提示する2 つの基本特性,すなわち対人相互性の障害および同一性への強迫的こだわりに深化,集約されてきたことを説明した。次に,DSM-5 では,本症の中にDSM-IVのような下位グループを区別せず,さらに非臨床群との間にも連続性を示唆するような概念となっていることを述べた。後半では,自閉スペクトラム症という診断概念の登場がもたらした意義として,精神医学の症候論の革新と拡張,本症をベースに併存した従来疾患の症状を知ることによる精神科診断学の向上,力動精神医学概念の妥当性の再点検の促進,および司法精神医学を始めとする諸分野において従来概念を見直す必要性の明示を挙げた。最後に,本概念が抱える問題点ないし課題として,現在の診断概念では臨床像の点で広大な多様性を含んでしまうこと,および2 つに絞り込まれた基本特性が同時に存在する必然性が不明なこと等を述べた。
強迫スペクトラム障害の概念と意義,そして問題点 ………(松永寿人)
抄録:強迫スペクトラム障害(obsessive-compulsive spectrum disorder; OCSD)は,1990 年頃,Hollander らが提唱したもので,強迫性障害(obsessive-compulsive disorder; OCD)を中核とし,「とらわれ」,「繰り返し行為」を症候学的特徴として共有する疾患群である。この一群では,病因や病態の共有,さらに疾患間の相互関連あるいは連続性で説明しうる可能性が想定されている。当初から,OCSDには摂食障害や衝動制御障害,行動嗜癖,チックやトウレット障害,自閉症などが含まれ,カテゴリー横断的な特性を有し,強迫性︲衝動性といった連続性,そして多様性は広範に及ぶ。DSM-5 の改訂プロセスでは,OCDを不安障害として捉えることの限界などから,この概念が注目され採用が検討された。その結果,OCDに加え,身体醜形症,抜毛症,皮膚むしり症,ためこみ症などからなるobsessive-compulsive and related disorder(OCRD)という新たなカテゴリーが新設され,不安障害から分離されるに至った。しかしながら,OCRDの診断カテゴリーとしての妥当性検証は,いまだ十分とはいえず,この構成からスペクトラム特性を読み取ることは難しい。またこれの臨床的有用性や信頼性に関してもさらに検討が必要である。特に「とらわれ」や「繰り返し行為」は非特異的な精神症状であり,様々な精神疾患で観察される。このため,このカテゴリーの妥当性や特異性を支持する臨床指標の特定は,強迫スペクトラム概念の正当性を明らかにする上でも重要なものとなる。(キーワード:強迫スペクトラム,強迫症および関連症群,DSM-5,強迫性障害,とらわれ,繰り返し行為)
神経症圏障害(摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害)のスペクトラム:社交不安スペクトラムと境界性パーソナリティ障害スペクトラム,およびプロトタイプ診断と診断横断的治療………(永田利彦)
抄録:神経症圏(摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害)の精神障害は,従来から診断学的に正常と精神病圏の中間に位置すると考えられていた。それに一致するように,近年の研究結果は,正常から精神障害レベルまで連続体であり,明解な境界線はないことを示している。このようにディメンジョナルな側面を有している上に,現在の診断システムが併存症を許しているため,操作的なカテゴリー診断では,どうしても異質性が高く,治療上多くの混乱をもたらしてきた。このような現状を改善する1 つの提案として,併存症診断を排し,プロトタイプ診断を行い,それに基づいたスペクトラム的視点から診断横断的な治療を行うことである。そこで,摂食障害,不安障害,パーソナリティ障害といった神経症圏の精神障害に共通するスペクトラムとして,幼少時の行動抑制︲全般性の社交不安スペクトラム,感情統制障害︲境界性パーソナリティ障害スペクトラムという2 つのスペクトラムと,それに相応したプロトタイプを紹介した。また,それに合わせた診断横断的治療の可能性を論じた。
(キーワード:社交不安スペクトラム,境界性パーソナリティ障害スペクトラム,プロトタイプ診断,診断横断的治療)
カテゴリー/ ディメンジョンと精神鑑定 ………(村松太郎)
抄録:法廷では,時に精神医学の常識からはかけ離れた精神障害の分類や意味づけがなされる。「犯行動機は妄想性障害から生まれたが,犯行そのものは妄想性パーソナリティ障害から生まれた」「自殺したのだから診断はうつ病である」などがその例で,これらは判決という最終目的に合わせた強引な論考であると認められ,医学的には容認し難いものである。しかしながら振り返ってみると,精神医学の診断におけるカテゴライゼーションも,様々な人々の様々な利害得失によって恣意的になされたものであることに気づかされる。カテゴリー / ディメンジョンの問題は,精神医学界においては水面下に潜んでいるのが常であるが,司法という異界に接する精神鑑定の場面では,しばしばその深刻な姿が顕わになる。(キーワード:責任能力,心神喪失,うつ病,自殺,操作的診断基準)
スペクトラムの概念から考える精神科薬物療法 ………(冨田真幸)
抄録:精神科薬物療法は,状態像に対する対症療法として行われてきたが,その基盤となる診断が伝統的カテゴリー診断からDSMなどの操作的診断に移り,病因が重視されなくなってから,製薬企業による商業主義や過度の医療化とも相まって,対象となる患者数が激増している。スペクトラムの概念においても,スペクトラムの要にある双極性などの表面的特徴だけを見た場合,過剰診断,過剰な薬物療法の温床となる恐れがある。背景にある病因を意識したうえで個々に治療選択を行うべきである。
(キーワード:スペクトラム概念,薬物療法,DSM,双極性)
スペクトラム論の行方 ………(村井俊哉)
抄録:DSM-5 におけるスペクトラム概念の導入などを通じて,精神医学において「スペクトラム論」,「スペクトラム診断」が注目を集めている。その際,スペクトラム診断に対置されるのは,カテゴリー診断である。しかし本論では,スペクトラム・対・カテゴリーの二項対立は,精神医学の基本問題を考える上では,見かけほど重要な論点ではない,ということを主張したい。疾患をスペクトラム的に捉える(数値化する)ことや,疾患をカテゴリー的に捉える(ラベルする)ことを巡るもっと深刻な論点は,この両者の二項対立とは別のところにある。たとえば,精神疾患の定義や診断,特に健康との境界づけには,「価値判断」の問題を避けて通ることができない。ところがこうした論点が,スペクトラム・対・カテゴリーの対立として誤解されているために,議論が深まっていない場合がある。そこで,こうした「スペクトラム・対・カテゴリー論争」に別れを告げて,精神疾患・症状を数値化することとラベリングすることに共通して内在する,より基本的な諸問題に目を向けることの重要性を,筆者は主張したい。
(キーワード:スペクトラム論、ラベリング、数値化)