POWERMOOK 精神医学の基盤[1]
薬物療法を精神病理学的視点から考える
石郷岡純/加藤敏=責任編集
[B5判/229頁/定価4000+税 978-4-906502-50-9]
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特集にあたって
精神医学のMOOK版の新たな書籍として「精神医学の基盤」がスタートした。記念すべき第1号の特集は「薬物療法を精神病理学的視点から考える」である。「精神医学の基盤」では精神医学における重要なテーマを斬新な切り口で俎上に載せていく予定であるが、第1号で選ばれたこのテーマは、今日の精神医学を語る際に避けては通れないばかりでなく、あらゆる議論のスタイルを象徴的にあぶりだす作用があると思われる。それは、薬物療法と精神病理学の双方が様々な意味で対立軸を内包しているからである。すなわちこの両者は、病理の解明と治療学といった研究目的の方向性も異なり、また方法論においても異なっていて、あたかも人類の知的活動の多様性の歴史をそのまま代表しているように見え、専門家集団としても異なっている。しかし、個々人においては両者が分裂しているわけでもなく、一方のみの思索に限定しているのでもない。本書ではまさにこの思索の異種性に焦点を当てているのであり、異質なもの同士の出会いに知的な興奮を感じていただければ望外の喜びである。(石郷岡純)
【目次】
対談「薬物療法の進歩と精神病理学の展開」(石郷岡純×加藤 敏)/「遺伝子-言語複合体」としての人間に対する薬物療法を考える(加藤 敏)/薬物療法と精神病理学(石原 孝二)/薬物療法の進歩に精神病理学はいかに寄与したか(兼本 浩祐)/操作的診断カテゴリーと疾病概念の齟齬 ― 治療学との関連性をどう考えるか(大野 裕)/統合失調症の薬物療法における精神病理学的意義(福田 正人)/ うつ病の薬物療法における精神病理学的意義(田島 治)/薬物療法の前提としての双極性障害の精神病理学(阿部 隆明)/不安障害の薬物療法における精神病理学的意義 ― 神経症概念の治療学的有用性(越野 好文)/児童・思春期の薬物療法における発達心理学的意義(岡田 俊)/精神病理学・症候学的視点から高齢者の薬物療法を考える(萩原 徹也・天野 直二)/精神病理学的視点から見た統合失調症の回復と治療(鈴木 國史)/薬物療法における回復論再考 ― ドパミン神経系のレジリアンスにおける役割の重要性を通して(石郷岡 純)/なぜドパミンD2 受容体遮断薬は抗精神病薬となりうるのか?(渡邉 衡一郎)/モノアミン増強薬はなぜ抗うつ薬となるのか(稲田 健)/精神科治療におけるレジリアンスの思想(小林 聡幸)/精神病理学の今後の可能性(村井 俊哉)/コラム:精神医学における仮説の構築と検証(森田邦久)/エッセイ= 松下正明、濱中淑彦、Luc Ciompi/協賛企画= Clozapineの導入と日本の精神科医療(藤井康男、藤田潔、琉球病院多職種チーム)
(対談)「薬物療法の進歩と精神病理学の展開」…… 石郷岡純(女子医大)×加藤敏(自治医大)
対談の骨子(見出し) 「診断」と「疾病概念」は異なるもの、薬物の作用は疾患とは異なるカテゴリーに対して効果を発揮する、ドーパミンの機能は疾病からの回復過程に関与している、ノセボ効果を増強させるような医療も増えている、「正常な悲しみ」は奪ってはならない、薬効を何で評価するかということも重要な問題――真のアウトカム、フロイトの「心的装置」は現在のニューロサイエンスの理解を言い当てている、「仮説を必要としない研究のモデル」
「遺伝子-言語複合体」としての人間に対する薬物療法を考える …… 加藤敏 (自治医大)
抄録:今日,精神科治療において薬物療法がかつてないほど重視されるようになっている。その分,人文科学の知に源泉をもつ「無条件の歓待」の理念に根ざした医師-患者関係が後退し,本来の精神療法の意義が疎んじられているように見受けられる。最新の遺伝子解析の知見をふまえ,人間主体の基本的な在り方を周囲との絶えざる相互作用のなかで不断に生成する(ともにリゾームモデルをもつ)「遺伝子-言語複合体」に求める考え方を提示した。いかに了解不能な言葉を発する患者に対しても,狂いとは一線を画す自由な精神の次元が保たれていることに配慮した「無条件の歓待」の姿勢で接することは,それだけで精神療法の効果をもつことが期待される。この姿勢は疾患を問わず薬物療法を行ううえで重要である。 (キーワード:薬物療法,精神療法,プラセボ効果,統合失調症,うつ病)
薬物療法と精神病理学…… 石原孝二 (東京大学、科学哲学)
抄録:精神病理学は現在、症状やシンドローム、精神疾患をもつ当事者の体験そのもの(の形式や構造)を対象にする学問として一般には理解されているが、歴史的には、精神疾患の症状、病因、疾患の経過、解剖学・生理学を包括的に扱うものとして考えられていた。そのような意味における精神病理学は精神疾患そのものを対象とするものであり、治療と対比されるものである。しかし1950年代の精神薬の登場以降、薬物療法は精神疾患の病態や捉え方、分類に大きな影響を与えてきた。現代の精神医療において、薬物療法は深く浸透しており、薬物療法の影響を抜きにして精神疾患の症状や転帰について考えることは困難になっている。現代において精神病理学を展開していくためには、薬物療法に対する批判的なスタンスを保ちつつ、薬物療法のプロセスや結果を精神病理学のなかにどのように取り込んでいくのかを考えていく必要があるだろう。(キーワード:精神病理学,薬物療法,治療反応性,Janzarik)
薬物療法の進歩に精神病理学はいかに寄与したか…… 兼本浩祐 (愛知医科大学)
抄録:薬物療法あるいはECTのような脳に直接作用する物理的治療法を,特定の精神症状に対して適用すべきかどうかの判断のためには,理念的には何らかの生理学的な原因を仮想することが要請されること,伝統的精神病理学は,この要請に従って「内因」という生理的原因を仮装することで,精神疾患を他の身体疾患と同様の「疾患」として取り扱える形式を整えたことを論じた。生理学的な疾患概念と切り離して症状のみから「診断」を行えると操作的診断が主張するのであれば,それは通常の身体疾患における診断とは全く異なった「診断」であり,身体医学における診断とは別個のものであることを意識すべきであることを主張した。うつ病治療における単一論“ lumper” と二分論“ splitter” の医学史的展望,統合失調症に対する構造主義的アプローチと現象学的精神病理学のアプローチの比較,ヤスパースの了解が二つの異なった意味で使われていることを指摘した上で,伝統的精神病理学における内因性精神疾患と薬物療法の関係は,現象学的精神病理学やDSM III またはIV のそれと比べて,より本質的な関係にあることを指摘した。(キーワード:精神病理学,内因性,薬物療法,ヤスパース)
操作的診断カテゴリーと疾病概念の齟齬 ― 治療学との関連性をどう考えるか……大野裕 (認知行動療法センター)
抄録:操作的診断基準を基礎にしたDSM-III の発表以来,その意義と弊害について,わが国でこれまで多くの議論が積み重ねられてきた。そのなかでは,従来からの疾病概念との齟齬についての議論が多く,操作的診断カテゴリーの導入によって過剰診断や過剰治療が行われるようになったという議論もある。しかし,操作的診断基準はあくまでもガイドでしかなく,過剰診断や過剰治療が行われるようになったとすると,それは操作的診断基準を使う精神科医自体の問題である。また操作的診断基準が好んで用いられるようになったのは,従来からの疾病概念が曖昧であり,信頼性や妥当性が十分に検証されていなかったためでもある。そもそも,精神疾患の原因が解明されていない現状では,いかなる診断分類も一長一短があり,そうしたなかで個々の分類法や概念について批判的になって悪者探しをすることは,決して治療の役には立たない。むしろ,診断分類の長所と短所を念頭に置きながら,症例の概念化を通して患者を一人の人間として理解し手助けしていく方法を探ることが治療的には重要なのである。(キーワード:操作的診断,信頼性,妥当性,症例の概念化,精神疾患の診断・分類マニュアル)
統合失調症の薬物療法における精神病理学的意義…… 福田正人(群馬大学)
抄録:抗精神病薬が統合失調症の脳に作用することで,心理や行動の変化を引き起こすことは臨床の経験としては当然だが,両者が具体的にどう結びつくかは明らかでなく,薬物療法と精神病理学のあいだには距離があった。自我や自己を脳機能として検討できるようになったことで,抗精神病薬の効果を統合失調症の症状とより対応づけて理解する手掛かりが得られるようになってきている。そのことを通じて,統合失調症における薬物療法と精神病理の関連が明らかになるだけでなく,体験としての苦痛や生活における困難からのリカバリーを薬物療法や脳機能と関連づけて理解することができるようになる。そこでは,価値意識にもとづいて自発的に行動を起こして長い人生を送るための基盤としての脳機能という視点が重要である。(キーワード:統合失調症,抗精神病薬,精神病理,リカバリー,脳,生活)
うつ病の薬物療法における精神病理学的意義…… 田島治 (杏林大学)
抄録:未熟性や自己愛の病理が背景にある現代型のうつ病患者が増加した今日,新規抗うつ薬を中心とした薬物療法の信頼性が大きく揺らぎ,その有用性と安全性に対する不信が高まっている。様々な向精神薬を治療終結の見通しのないまま長期に服用し,通常の生活ができないうつ病患者が急激に増加している。治らないのは既存の抗うつ薬では効果がない患者のパーソナリティの病理や,見逃されていた双極性障害のためであろうか。ここでは現代のうつ病の精神病理を再検討するとともに,抗うつ薬がどのようにして効果を発揮するのか,最近の脳のイメージングと認知神経心理学の視点から示唆されるうつ病の病態と,推定される治療のメカニズムも考慮して,“薬物心理学”の視点から検討した。さらに抗うつ薬の長期投与による遷延化や不安定化,ボーダーライン化や双極スペクトラム化など,抗うつ薬誘発性と推定される精神病理の可能性についても指摘し,今日のうつ病の薬物療法の問題点を明らかとするとともに,抗うつ薬と呼ばれている薬物が人間の心にどんな作用を及ぼすのか,その精神病理学的意義を検討した。(キーワード:うつ病,精神病理,薬物療法,選択的セロトニン再取り込み阻害薬,三環系抗うつ薬,薬物心理学)
薬物療法の前提としての双極性障害の精神病理学… 阿部隆明 (自治医大)
抄録:双極性障害は,躁病相,うつ病相という一見正反対の特徴をもつエピソードがあることに加え,再発性が高いことが特徴である。治療的には,躁を抑える,うつを上げるといった短期的な対応に目が向きがちであるが,躁とうつは密接に絡み合っており,この関係を押さえておかないことには,双極性障害の包括的な治療につながらない。 躁とうつの関係については,対称モデル,2 次元モデル,制止-脱抑制モデル,発達モデル,躁先行仮説,うつに重畳する躁,うつ病の構成因子としての躁などが考えられる。いずれにしても,躁は比較的均一であるが,うつの内実は多様である。躁とうつの発症機制に関しては,一定の心理的身体的な負荷に対して興奮状態が生じるという,「生体反応モデル」に統合できる。 双極性障害像のライフステージごとの差異は,人格の成熟ないしメランコリー能力と躁的な因子を2 軸にとった見取り図を作成することで理解しやすくなる。青年期では感情気質や,人格と気分障害の融合したような双極I 型やII 型が目立ち,成人期前期では不安・焦燥優位なうつ病相ないし軽い制止優位のうつ病相を伴う双極II 型が,壮年期以降は典型的な制止優位のうつ病相をもつ双極I 型が出現しやすくなる。 薬物療法的には,躁病では適度の鎮静が主体となるが,うつ病相に関しては,メランコリアの特徴を有する病態には適度の鎮静が,非定型の特徴を呈する病態には適度の賦活が重要となる。(キーワード:双極性障害,躁病,うつ病,双極スペクトラム,メランコリアの特徴,非定型の特徴)
不安障害の薬物療法における精神病理学的意義 ― 神経症概念の治療学的有用性……越野好文(アイリス メディカル クリニック、金沢大名誉教授)
抄録:1894 年にFreud は病的な不安の症状を詳しく分析し,全般的ないらいら感,慢性の懸念/ 不安に満ちた予期,不安発作およびその結果として生じる恐怖性回避の4 つを特徴とする不安神経症の概念をまとめあげた。1980 年に発表されたアメリカ精神医学会の精神疾患の診断・統計マニュアルは,病的な恐怖・不安を中心症状とする疾患に対して“不安障害”という新しいカテゴリーを設けた。これには恐怖性障害(従来の恐怖神経症)と不安状態(従来の不安神経症)が含まれる。Freud が不安神経症の中核症状であると考えた“不安に満ちた予期”がDSM-III の全般性不安障害に,そして不安発作がパニック障害に受け継がれたとされるが,不安に満ちた予期と不安発作に代表される自律神経過活動はDSM-III の他の不安障害においても治療を必要とする重要な症状である。不安障害に有効な薬物として抗うつ薬,5-HT1A作動薬,benzodiazepine 系抗不安薬がある。前2 者は精神不安に,後者は身体不安に優れた効果を示す。したがって不安障害の治療にあたっては,患者の不安を分析し,症状に適した治療薬を選択することが必要である。(キーワード:抗不安薬,不安障害,不安神経症,Freud,予期憂慮)
児童・思春期の薬物療法における発達心理学的意義…… 岡田俊 (名古屋大学)
抄録:児童・思春期の精神疾患は,成人期と異なり,その臨床症状や経過が非定型的であること,薬物療法への治療反応性に相違があることが指摘されてきた。これらの相違は,成人期になっても持続することから,年齢に応じた精神疾患の臨床表現の相違というよりも,発症年齢により精神疾患の病態は異なること,とりわけ年少例ほど,併存する発達障害の影響を受けやすく,二次障害としての側面を持つことが示唆された。近年,発達障害に対しては薬物療法のエビデンスが蓄積しつつある。ここでは注意欠如・多動症を中心に検討を加えたが,発達障害の薬物療法は単に臨床症状を改善するだけでなく,発達障害とともに生きることに伴う主観的体験や心理的体験から脱却し,新たな体験をいやおうなくもたらす営みであり,それに伴う戸惑いや,そのことで促進される発達の歩みについても理解することが求められる。(キーワード:児童,青年,薬物療法,発達心理学,精神療法)
精神病理学・症候学的視点から高齢者の薬物療法を考える…… 萩原徹也/天野直二 (信州大学)
抄録:高齢者の精神症状は多彩であり,環境やライフイベント,加齢に伴う認知機能低下など様々な要因により修飾されて経時的に変化する。心因・内因・器質因が重層的に関与して診断困難な事例が多いことが特徴的といえよう。一旦精神病像を呈すると重症化しやすい傾向があり,再発や慢性化も多く,治療に難渋する事例が少なくない。高齢者の精神障害の治療学には依然として多くの難問が残されているが,治療への反応性が異なる様々な病像が同一の診断カテゴリーに含まれていることも治療上の混乱を招く一因となっているように思われる。それゆえ,薬物療法など治療方針の選択に際しては,まずは症候学的類型を踏まえて症状を仔細に捉えていくことが重要である。 認知症や器質性精神障害の場合には,どこまでが治療すべき症状であるのかを見極,身体合併症にも配慮しながら,薬物を投与するか否かという点も含めて的確に判断していく必要がある。薬物療法を含む治療全般を,認知機能の衰えに直面する主体と周囲の関係性をいかに調整するかという文脈で捉えなおすことが求められている。(キーワード:初老期・老年期精神障害,認知症,精神病理学,症候学,薬物療法)
精神病理学的視点から見た統合失調症の回復と治療…… 鈴木國史 (名古屋大)
抄録:精神疾患,特に統合失調症の回復と治療について,精神病理学的視点から論じた。ここで言う精神病理学は,静的に症状を記述する学ではなく,病態の動きを力動的視点のもとに捉える学である。力動的視点,つまり他者との関係の中で変化する患者主体の欲望を捉えようとする視点である。そうした視点のもとでは,観察する医師は必ず一人の他者として現れ,患者の主体に作用する。記述に当たっては,統合失調症という疾患の進行に添って「統合失調症はいつ始まるのか」「医療との最初の接触と回復」「寛解過程と回復」「残遺症候」「再発をめぐって」「社会の中の統合失調症」といういくつかの項を設け,各段階で,医療と患者主体とがどのように関わり合うかを記述するよう試みた。また,病態の回復過程を,単に病的と判断される部分が取り除かれる過程と考える視点からは一旦離れ,むしろ病的事態を生活の中に取り込みながら,社会の中で,ひとつの生活を取り戻す過程として捉えるよう試みた。そうした視点こそが,精神疾患の回復という問題を考える上では,特に有用と考えられるからである。(キーワード:回復過程,精神病理学,統合失調症,医療システム)
薬物療法における回復論再考 ― ドパミン神経系のレジリアンスにおける役割の重要性を通して…… 石郷岡純 (東京女子医大)
抄録:薬物療法を精神病理学的視点から考えるため,回復論を題材に検討した。回復の概念は多様であり,薬理作用と治療目標としての回復を因果関係的に結びつけることは現時点では困難であるため,中間指標としてeffectiveness 概念による妥当性のあるマーカーを置く必要があることを述べた。また,病態生理を反転させることだけが治療ではなく,レジリアンス機能の強化を通じた回復促進という戦略もあり得ることを指摘した。ドパミン神経が回復過程において重要な役割を果たしていることを示唆する知見を紹介し,ドパミン受容体遮断薬である抗精神病薬は,レジリアンスの担い手であるドパミン神経の機能を強化し,回復を促進させる手段としてとらえるべきであると考えられることを述べた。この作用は,報酬系機能を修復し,健全な報酬予測をもたらしていると考えられ,意欲をもたらし実存的な回復へと導く効果の生物学的な実態とみなすことも可能である。 精神病状態はストレス耐性が破たんし,salience の亢進した疾患非特異的な状態であり,抗精神病薬は過剰になっている情動認知プロセッシングを改善し効果を表すと考えられる。うつ病治療における増強療法においても,抗精神病薬は回復力増強の意味合いでとらえられるべきである。(キーワード:回復,薬物療法,ドパミン,報酬系,レジリアンス)
なぜドパミンD2 受容体遮断薬は抗精神病薬となりうるのか?…… 渡邉衡一郎 (杏林大)/竹内啓善(トロント大学)
抄録:Laborit が1951 年クロルプロマジン(CPZ)の効果に注目し,Delay とDeniker が翌年にCPZの抗精神病作用を証明した。1970 年代になって,統合失調症ではドパミン受容体における過剰な神経伝達があり,抗精神病薬はドパミン受容体を遮断することで精神病症状を改善するというドパミン受容体仮説が誕生した。1990 年代には,ポジトロン断層撮影(PET)を用いて線条体におけるドパミンD2 受容体占拠率と抗精神病作用との関係についての研究が盛んに行われ,最適なドパミンD2 受容体占拠率は,65 ~80%程度であることが明らかとなり,それを実現させやすいとして第二世代抗精神病薬が主流となった。 一方1980 年代よりグルタミン酸仮説が注目されたが,この仮説に基づいた開発は現況ではうまくいっていない。他にも新しいメカニズムを謳った化合物の開発は進んでいるが,大方の期待に反してその臨床試験はことごとく失敗している。このように抗精神病薬の中心的薬理作用は依然としてドパミンD2 受容体遮断にあり,この作用を持たない薬剤が抗精神病薬として上市されたことはない。統合失調症の病因・病態がまだ解明されていないためである。
モノアミン増強薬はなぜ抗うつ薬となるのか…… 稲田健 (東京女子医大)
抄録:偶然発見された抗うつ薬の作用機序解明の研究過程から,モノアミン増強作用が発見され,モノアミン仮説が提示され検証された。モノアミン仮説は,神経伝達におけるモノアミンの作用増強により,うつ病が改善されるとする仮説である。モノアミン仮説は,どのモノアミンがより重要であるのかを検討され,セロトニン仮説とノルエピネフリン仮説に発展した。その後,短期間のモノアミン増強のみに拠らない作用機序を説明するため,受容体機能亢進仮説,BDNF(脳由来神経栄養因子)仮説が提唱された。これらの仮説を検証するため,数多くのモデル動物が考案された。代表的なモデルに,強制水泳試験における学習性無力モデルがある。これらの検討の結果,短期間の薬理作用による変化のみならず,BDNFを介した長期間にわたる神経系の変化をも説明しうるようになりつつある。一方で,うつ病の病態生理は未だ明らかではなく,うつ薬の作用機序の検討から病態モデルを説明し,その病態モデルを回復する説明から,うつ病の病態生理を説明するという循環論法になってしまっている点には注意が必要である。今後のうつ病研究においてはモノアミン仮説を超えた作業仮説による検討が必要である。(キーワード:抗うつ薬,モノアミン仮説,セロトニン,ノルエピネフリン,BDNF)
精神科治療におけるレジリアンスの思想…… 小林聡幸 (自治医大)
抄録:精神医学においては,正常と異常,健康と病気の関係は一筋縄ではいかないところがある。また病気からの回復ということを考えても,それが自然に起こりうるのかよくわからない。そのような精神現象に対して薬物療法を行う段になると,臨床家は単純な生物学モデルや力学モデルを頭に置きながら,薬用量を調節しているものと思われる。ところが,精神疾患の神経伝達物質不均衡説は十分な根拠を示されておらず,とりわけ抗うつ薬ではプラセボとの有効性の違いが少ない。まずうつ病圏の病態において,抗うつ薬の効果を,精神療法の下支え,回復の引き金という観点から考察を試みた。次に,統合失調症において,薬物療法で陽性症状が治まった後の治療課題について,人間学的均衡という概念を用いて考察した。河本は,レジリアンスは単に「抵抗力」「回復力」ではなく,より高次の自己組織化的なシステムの機構の導入だとする。ここでの議論に翻案すると,精神科治療におけるレジリアンスとは,より高次の均衡の導入でなければならない。(キーワード:回復,薬物療法,精神療法,人間学的均衡,レジリアンス)
精神病理学の今後の可能性…… 村井俊哉 (京大)
抄録:精神病理学の今後の可能性について考えるため,まず,「精神病理学」という語がどのような学を指し示しているのかについて考えた。その際,文献的にその定義の起源をたどることはせず,今日の日本の精神医学で精神病理学がどのようにイメージされているかを,筆者の個人的記憶・経験に基づき吟味するという変則的な方法をとった。結果,精神病理学の輪郭は,神経科学およびエビデンスに基づく医学に対して,何らかの意味で対置・対比される学として描き出すことができるのではないかということを論じた。その上で,神経科学・EBMが本流であり続けることが予想される今後の精神医学の状況における,精神病理学のありうる立ち位置を列挙した。考えられるいくつかの立ち位置の中で,精神病理学が精神医学の中で独自性を持った一角を堅持していくには,「オールタナティブズとしての精神病理諸学」という立ち位置がよいのではとの筆者の見解を述べた。(キーワード:一般精神医学,エビデンスに基づく医療,神経科学)
【エッセイ、 コラム】 松下正明: DSM-5雑感/濱中淑彦:精神医学における心身論の今昔/Luc Ciompi・山岸洋訳:統合失調症における情動の役割とソテリア・アプローチ/森田邦久:精神医学における仮説の構築と検証/【協賛企画】藤井康男・藤田潔・琉球病院多職種チーム:Clozapineの導入と日本の精神科医療