心理学と出版 読者の関心はどこにあるのか − 90年代の出版状況と新たな変化の胎動 − 成 田 毅
人は誰しも、心に興味を持っている。この点で心理学は、他の学問とは違って、難解なタームを除けば誰にでも入りやすい。自分の心について云々すること、それは誰にでも持ち得る権利なのだから。 学問という王道 心理学や精神医学の出版物が目に見えて多くなったのは、90年代の初頭であったように思う。とはいえ、まだそれは一般の読者には予備知識なしにはとうてい歯がたたないような代物だった。東京大学出版会の「認知心理学叢書」? ッ・? ー期がすでに完結しており、また福村出版の「応用心理学講座」も随時刊行中であった。これらも学生や研究者向けのハイレヴェルな専門書といっていいだろう。精神医学関連でも、「○○療法入門」というタイトルで専門家向けの書籍が多数を占めていた。また、精神分析の本も、専門家以外では思想書として読まれていたように思う。この頃の大型書店のレイアウトも、心理学コーナーの隣には精神世界のコーナーがあり、その隣には宗教学のコーナーといったふうに、微妙なグラデーションとともにこの三つが一つの棚に構成されていた。余談ではあるが、『フロイトの料理読本』(青土社)という、フロイトの口唇論と食をめぐったパロディ本が、大手書店の料理コーナーに置かれていたことがあり、しかも読者から料理レシピ集ではないのかという問い合わせがあったという。
王道へのカウンターパンチ ところが、同時にこれとはまったく別の志向性を持ったものが出始めることになる。『24人のビリー・ミリガン』『FBI心理分析官』『診断名サイコパス』(ともに早川書房で、翻訳書)である。多重人格や猟奇犯罪、快楽殺人を扱ったものであるが、内容に見る事実のセンセーショナルな点もさることながら、ウケるきっかけになったのには、もう一つ理由があったような気がする。それは、自分にも知らない自分の存在とそれへの恐怖と憧れであった。80年代によく見受けられた“自分探し”という言葉が、爛熟した文化にもかげりが見え始めたこの頃に、自覚的なスローガンとして結晶化する。現実からの逃避的なメンタリティーが顕著なかたちで現れ出した時期であった。そして、逃げ込む先は、自分の無意識の過去であったり、癒されるための新興教団であった。
転換点という今 勿論、この流れは決して否定的にとらえられる必要はない。いかなるかたちであっても、「心の時代」は進行しているのである。阪神淡路大震災やオウム真理教による事件以降、PTSD(心的外傷後ストレス障害)やアダルト・チルドレン、心の病の背景の一つとされる家族内力動、そして自己実現とそれにともなうアイデンティティの確立などなど、広範囲にわたる出版物が数多く出回っている。ゲーム感覚の短絡的すぎる心理テスト本は別として、重いテーマの本が毎日のように書店に並んでいる。 心理学・精神医学と出版は、新たな転換点に入り始めている。 (なりた・たけし=フリー・エディター) |
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