スペシャリストに聞く
精神保健福祉法、措置入院の基礎知識について
コメンテータ:野口正行氏[2017.08.18/東京・文京区にて]
精神保健福祉法の改正案が注目を集めている。今回の改正の背景には昨年の相模原市の知的障害者施設殺傷事件があるが、この事件を出発点とした審議が進められる限り、この法律の目的はおのずから犯罪防止に重点が置かれざるを得ない。医療従事者や患者団体から異論が出されるのは当然のことだろう。精神保健福祉法改正案の審議は一時混迷を深める結果となったが、今日、ようやく成立の見通しが立ってきた。この機会に、岡山県精神保健福祉センターの野口正行氏に、同法案の意義や課題について解説していただいた。
◆ 相模原事件だけが契機であったわけではない
今秋の成立を目指して「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(以下、精神保健福祉法)の改正作業が進められています。今回の改正の背景に昨年の相相模原市の知的障害者施設殺傷事件があったことは否定できませんが、それだけでは決してなく以下のような精神医学的状況があったことにも留意しておく必要があります。
1)精神保健医療福祉は、近年、入院治療から地域生活へと治療や支援の場がシフトしてきています。これは平成16年の「精神保健医療福祉の改革ビジョン」の時点から指摘されていたことであり、それを一層進める必要があるということは以前から考えられていました。
2)精神医療においては、近年、急性期治療・合併症治療・在宅医療などに機能分化と共同ネットワークが強調されるようになってきました。精神医療は病院だけで行われるものでなく、それぞれの部門の連携が必要であることが広く認識されています。
3)近年、精神障害者の人権や自己決定権が一層強調されるようになってきました。
4)地域単位で関係者がデータを用いながら話し合いを行うことにより、地域支援体制の構築が期待される時代を迎えています。
これらの精神科医療をめぐる様々な事情が、今回の法改正の背景にあります。また前回法改正から3年を目途に見直しすることも付記されていました。決して相模原事件が起こったことだけが動機であったわけではありません。地域包括ケアシステムは、今日様々な医学領域で確立が求められていますが、精神科領域もまた例外ではなく、適切な地域包括ケアシステムの確立を必要としています。すなわち、医師や看護師だけでなく、介護、福祉など、さまざまな領域のサービスを網羅した多彩な機関のネットワークを構築することは今日の重要な課題となっており、このことは前回の法改正が行われた以降も、ますます顕著になってきました。
では、改めて精神保健福祉法とはどんな法律であるかについて考えてみることにしましょう。この法律の目的は以下のようにまとめることができます。
・精神障碍者の医療および保護を行う。
・障害者総合支援法とともに、精神障害者の社会復帰の促進、自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行う。
・精神疾患の発生の予防や、国民の精神的健康の保持および増進に努める。
・上記によって、精神障害者の福祉の増進及び国民の精神保健の向上を図る、つまり精神障害者だけでなく国民一般の精神保健の向上をはかる。
――これらの目的から精神保健福祉法の特徴がみえてくると思います。まず、この法律は精神科医療を適切に実施するためのものであり、入院医療に関する適正な遵守事項の規定が中心となっています。患者さんが精神障害のために治療の必要性を十分に判断できないと考えられる場合でも、十分な説明が必要であるという立場をとっています。そして患者さんの治療のために自由を制限する際には、必要最小限で極力短期間とする、人権擁護のための機関として精神医療審査会を設置する、これらのことが特徴として捉えることができます。
◆ 措置入院は厳格に運用されている制度
精神障害者の入院形態をみると、(1)任意入院、(2)医療保護入院、(3)応急入院、(4)措置入院/緊急措置入院の4種類にわけることができます。
まず(1)任意入院は入院が必要な精神障害者自身が入院に同意できる場合をいいます。(2)医療保護入院は、精神障害があるために入院治療が必要であるにもかかわらず、任意入院が行われる状況にないケース、すなわち精神保健指定医が家族等の同意を得て入院を決定するケースです。(3)応急入院は家族等の同意が得られないケース。すなわち身元不明・家族等の連絡先が不明で、精神障害があるために入院が必要であるが、本人の同意が得られないといったケースです。これは一時的なものとみなされ、72時間以内(3日間)に以後の対応を決める必要があります。応急入院に対応できるのは指定病院のみに限られます。最後の(4)「措置入院/緊急措置入院」ですが、これは精神障害があり、警察官等からの通報や届け出等によって、都道府県知事が精神保健指定医に診察をさせ、自傷他害のおそれがあると認められたケースが該当します。「措置入院」に際しては精神保健指定医2名が入院を必要と判断する必要があり、要件としてはかなり厳しいものになっています。これらの様々な入院形態は、精神障害の重症度とは必ずしも一致しない点にも注意が必要です。
さて、これらの入院形態の一つである「措置入院」ですが、その判定基準は精神保健福祉法28条の2で次のように規定されています。すなわち「まず精神障害者であり、かつ、医療および保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたとき」。ここで重要な点は「精神障害のために」状況が生じているということであって、精神障害が認められない場合は、当然のことながらこの法律が適用されることはありません。
「緊急措置入院」も「措置入院」も、「精神障害者であり、かつ、医療および保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたとき」という規定は共通しているのですが、「緊急措置」入院の場合は、急速を要し、27条、28条の手続き(二人の指定医・都道府県の該当職員の立会い・家族に通知等)が取れない場合、そしてそうした状況下で「直ちに入院させないと自傷他害のおそれが著しいと認められた時」と規定されています。緊急の場合は1名の指定医の判断でもよいとされてはいますが、ただその後72時間以内に、2名の指定医による診察が行われなければならないという条件が付されています。「緊急措置」入院はあくまでも一時的なものと理解する必要があります。
近年における措置通報・診察・入院件数の推移、医療保護入院件数の推移を図1,図2に示しました。措置診察・措置入院の件数は、医療保護入院と比較すると1ケタ少ないことが判ります。さらに精神科病院全体の在院患者数としてみると、任意入院と医療保護入院件数でそれぞれ約50%を占めているのに対し、措置入院の件数は非常に少なく1%未満となっています。措置入院はそれだけ厳格に運用されるべき制度であるともいえるのです。
◆ 「運用ガイドライン」は現在作成中
さて、精神保健福祉法は平成26年に一度改正されています。当時の改正の趣旨は以下のような点にありました。今回の改正も基本的にはこの内容が踏襲されています。
1 保護者制度が廃止され、医療保護入院の際の同意者が家族等に変更された。
2 医療保護入院者に対しては、退院後生活環境相談員を選任する。
3 医療保護入院者に対しては、退院に向けた取り組みを推進するため、「医療保護入院者退院支援委員会」を設置する。(前回の改正では「措置入院」についてはこの規定がありませんでした。今回はこの規定が「措置入院」にも適用されることになります。)
4 病院と地域援助事業者などとの連携体制が重要であることが明確化された。
5 大臣指針によって、今後の精神医療にとって重要なポイントが明示された。
この大臣指針では、外来・デイケアへの医療のあり方、アウトリーチや訪問診療・訪問看護など、良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針が、今後の精神医療の在り方を予測させるポイントとして挙げられました。
これに対し、今回の法改正案では、以下のような内容が新たなポイントとなっています。
1 病院は措置入院者に対して退院後生活環境相談員を選任する。
2 保健所設置自治体は、措置入院者の個別ケース検討会議と退院後支援計画作成と退院後支援の調整主体となる。
3 精神医療審査会が措置入院の診断書の審査を行う。
4 保健所設置自治体は精神障害者支援地域協議会を開催し、措置入院の支援体制について関係者と協議する。
5 措置入院等の際、入院措置を取る理由を告知する。
6 精神保健指定医制度の見直しを行う。
今回の改正にあたっては、当初の案では趣旨として「相模原市の障害者支援施設の事件では、犯罪予告通り実施され、多くの被害者を出す惨事となった。二度と同様の事件が発生しないように」という文言が明記されていました。この事件がきっかけとなったこと自体は否定できないものの、措置入院はあくまでも医療として行われるものであって、犯罪予防が目的であってはなりません。社会防衛と精神科医療が混同されてはならないという考え方から、様々な精神科医療団体、一般市民、野党からの批判が相次ぎ、結局この犯罪予防を想起させる文言は削除され、「医療の役割を明確にすることー医療の役割は、治療、健康維持推進を図るもので、犯罪防止は直接的にはその役割ではない」という記載のみが取り入れられることになりました。
ただ、措置入院については前回の法改正でも検討されることがなく、長い間懸案事項とされてきたため、今回の事件が契機となったにせよ、改正の動きが加速化したこと自体は意義深いことであると捉えてよいと思います。ただ一方、重症度は入院形態と必ずしも相関しないという事実が十分に顧慮されていない点、あるいは議論が入院患者に限定されており、支援を受けられない精神障害者へのアプローチについては議論されていない、といった問題点が残されていることも留意しておく必要があります。
精神保健福祉法それ自体は大枠の規定に過ぎませんので、実際の運用に際してはガイドラインが必要になってきます。置入院制度に関する運用ガイドラインは、現在、国立精神・神経医療研究センターの藤井千代氏らによって作成が進められています。
H28-30年度 厚生労働省行政推進調査事業費補助金「精神障害者の地域生活支援を推進する政策研究」分担研究班
「措置入院者の地域包括支援のあり方に関する研究」
研究代表者 藤井千代(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所社会復帰研究部部長)、
研究分担者 椎名明大(千葉大学社会精神保健教育研究センター治療・社会復帰支援研究部門特任准教授)
このガイドライン作成は以下の5項目を目的としています。
A1 措置入院運用に係るチェックポイント作成
A2 措置入院患者の退院後継続支援に係るガイドライン作成
B 措置入院に係る診療ガイドライン作成(対象:医療従事者)
C 精神科救急における薬物乱用関連問題に関する診療ガイドライン作成
D 措置入院における退院後支援ニーズアセスメント
ここでは、主にA1とA2に関係する課題についてご紹介します。
最初に措置通報への対応、すなわち「措置入院」の入り口としての課題(A1)です。措置通報等の運用は県ごとにかなり異なっているという現状にどう対応するか。また指定医の確保が難しいなかで、指定医の所属、診察場所などをどう考えるか。さらに、措置通報の受理、被通報者を措置診察につなぐかどうかの判断をどうするか。措置診察自体の判断の基準をどう定めるか。警察との国レベル、都道府県レベルの協議をどう進めるか。これらの課題についての具体的な検討が必要となってきます。
次にA2の措置入院者の退院後支援ですが、国および地方公共団体が配慮すべき事項等を明確化し、措置入院者等に対する退院後の医療等の支援を積極的に行う仕組みの整備を進める必要があります(図3)。
これらの退院後支援の実施主体は、入院措置をとった都道府県(保健所)が担います。ただし、すべての保健所が措置入院に対応できるわけではなく、都道府県保健所と政令指定都市保健所のみが措置権を有します。帰住先が確定した後は、帰住先の管轄保健所が実施主体となります。しかし、退院後どこに居住するのか、帰住先の保健所にスムーズに引き継ぐことができるか、また本人が支援を望まない場合にどうするか、など検討すべき事柄は少なくないのが現状です。
◆ 退院後支援は、保健所設置自治体が調整主体
措置入院者退院後支援は、自治体が主体となって当事者のニーズに応じた継続的な医療を確保しつつ、当事者が希望する地域生活を送るための援助を限定的に行うことを原則としています。本人の治療に直接携わっている医療機関が、多職種によるニーズアセスメントを行います。症状への対処など医療的ニーズのみではなく、地域生活に必要な多領域のニーズについても評価を行いますが、計画作成には、ニーズアセスメントのほか、計画に関する医療機関の意見の聴取も必要とされています。
保健所設置自治体は「精神障害者支援地域協議会」を設置し、「個別ケース検討会議」を実施することによって、措置入院者に対する退院後の支援内容を検討し、退院後支援計画を作成または修正することになります(図4)。個別ケース検討会議は当事者参加を原則とし、本人の希望が重視されるのが今回の特徴です。前回の改正では当事者が出席を希望する場合に参加するとなっていました。
個別ケース検討会議への警察の参加については、その目的が当事者の援助である場合に限って、例外的に可能とするとされます。実際、警察にも支援者的な役割を果たしてもらう事例は少なくないのですが、これに関する問題は国会でも議論の多い点であります。警察の参加は本人や支援関係者間で合意が得られた場合に限るとされ、本人が拒否する場合においては、個別ケース検討会議への警察の参加は認められません。
保健所設置自治体は、措置入院者が退院後に社会復帰のために必要な支援の内容をまとめた「退院後支援計画」を作成することになりますが、あくまでも本人が望み、理解して納得したうえでうけられるような支援を行うことに主眼が置かれ、当事者や家族等の意見を十分に尊重することが明記されています。かなり丁寧に行われなければならない作業なので、その意味では労力を要する仕事になると思います。
退院後支援計画の内容は、
・診断に関する情報
・医療・障害福祉サービス・介護サービス等に関する基本情報
・退院後支援計画に基づく支援を行う予定期間
・当事者のニーズとそれに対応する目標、支援内容、担当者名
・当事者が医療等の必要な支援を中断した場合の対処方針
・病状が悪化した場合の対応(クライシスプラン)
などですが、これらのなかでも特にクライシスプランは精神医学的には非常に重要な部分であると考えられています。クライシスプランでは、当事者の精神症状が増悪した場合または通院中断時の対応をあらかじめ当事者とともに計画しておきます(例として、電話を入れる、看護師が訪問する、複数で訪問する、関係機関に照会するなど)。重度の精神障害者は再発を繰り返すことが多いため、服薬の中断、対人関係など日常生活におけるストレス・変化などには特に注意を要します。
退院後支援は、以上のように、保健所設置自治体が調整主体となり、患者やその家族等の関係者に対して相談指導を行い、また支援の実施状況によって、障害福祉サービス、介護サービスの支援計画等も勘案して支援全体を調整することになりますが、支援期間は原則として退院後6か月以内、最大1年以内とされています。
最後に、退院後支援の今後の課題について述べておきます。
統合失調症などの精神障害に対しては、現段階でも比較的体制が整っているのですが、パーソナリティ障害や発達障害、物質使用障害などは、通常の措置入院後支援にのりにくい可能性があります。また、短期間入院の後、本人の拒否があったような場合の対応をどうするかといった問題もありますし、措置入院にならなかった場合でも困難な事例が少なくないという問題もあります。治療につながっていない精神障害者への対応についてはまったく未整備の状態です。保健所の調整の役割が具体的にどのようになるか、保健所の負担がどの程度のものになるかについても、見えてこない部分が沢山あります。
これらの問題は今後の検討課題になると思います。
【取材構成:学樹書院】